30年にわたり“わいせつ診療”を行った医師 法廷で語ったあり得ない“犯行動機”

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「娘は0歳の頃から斉藤医院がかかりつけだった。逮捕まで何度も通い、祖母も信頼を寄せていました。私も検診でたびたび世話になってきました。被告は物腰柔らかく、すっかり騙されていました……」(被害者母親の調書)

 長年、家族で世話になっていた、地元のかかりつけ医院。その医師が病室で行なっていたのは診療行為ではなく、わいせつ行為だった。信頼を寄せ、同院に通い続けてきた被害者やその家族の衝撃は大きかった。

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 守屋仁布被告(逮捕時67)は、東京都荒川区の『斉藤医院』に勤務する内科医だった。院長で小児科医の妻をもち、過去には荒川区医師会の副会長も務め地域医療に貢献してきた。だが約30年にわたり、患者にわいせつ行為を続けてきたという裏の顔を持つ。診察や検査を装い、ときに難病の疑いをちらつかせるという手口で、若い女性患者をターゲットにしてきたのだ。診察を受けた女性が不審に思い、警察に相談したことで犯行が明らかになった。

 19年11月におこした準強制わいせつ容疑で逮捕され、最終的に未成年を含む8名に対する強制わいせつ、児童ポルノ法違反などで起訴された。2020年12月に東京地裁で開かれた公判では、わいせつ行為の際に動画や写真を撮影していたことも明らかになった。守屋被告は当初、「治療行為の一環としてやっただけ」と容疑を否認していたが、公判では起訴事実を認めている。

 冒頭陳述によれば、以前から治療と称し、若い女性の陰部を触るなどしてきたという。今回の被害者らに対しても同様で、このうち発熱などを訴えて受診した少女には、重大な疾患の可能性を匂わせ、診察時間外に呼び出していた。

「性病の可能性があり子供が産めない体になるかもしれない。治療には50万かかるが、誰にも言わずに来たら、タダで診てあげる」

 こう守屋被告に言われ、少女は家族にも言えず、治療と称したわいせつ行為に一人耐え続けていたのだ。

 また別の被害者には、診察後、難病指定されている病名を告げ、継続診療を薦めたりもしてきた。「医学的専門用語や図表を用い、患者や家族にうその説明をしていました」(被告人質問での発言)という。

 起訴事実を認めるにあたり、守屋被告は過去30年間におよぶわいせつ行為をリストにして捜査機関に提出している。このリストや、押収されたハードディスクに残る動画像データから、彼による“医療行為と称したわいせつ行為”の被害者は8名だけではないことがわかる。

「ストレスのはけ口としてこういう行為をしました」

 もともと守屋被告は外科医としてある病院に勤めていた。ところが10年以上前に患者を盗み撮りしたことが発覚し、別の病院に移ることとなる。その後「人間関係がうまくいかず」(被告人質問より)、小児科医である自分の妻が院長を務める斉藤医院で、内科医として勤務することになったのだ。

 30年にわたり、患者にわいせつ行為を続けた救いようのない医師である。とくに、長期にわたり被害にあっていた女性が2名いたことも判明している。だが女性のひとりが結婚したことなどで、一度は犯行をやめていた。が、その後、犯行を再開したという。公判では、その理由を“ストレス”だと明かしている。

検察官 「再開したのはなぜ?」

被告 「ストレスが原因です。ストレスのはけ口としてこういう行為をしました。大学病院時代は、教授を目指していましたが、斉藤医院に移ったこと、私にとっては外科医ができなくなると……これ、ものすごく大きなストレスでした」

 2014年から犯行はエスカレートし、同時に複数人の女性に対して犯行に及ぶようになったというが、この理由も「外科ができないこと、大きなストレス」と、すべて“専門だった外科から離れたこと”によるものだと述べている。

 犯行を収めた動画や画像を、被告は『コレクション』として被害者ごとにフォルダ分けし、鑑賞したり、加工するなどしていたことも明らかになっている。白髪混じりの天然パーマヘアに、グレーのスウェット上下を着た被告は落ち着いた口調で解説した。

「元々外科をしていた時、記録として写真や動画を残していました。手術の写真や動画は違法なものではありません……。手順や結果をその記録と一緒にしていました。日常的な習慣、今回は犯罪ですが、記録として、コレクションとして残しておこうと……。これら一部の写真を加工して使っていたりしました。被害者の写真に……まぁ……解剖の術後写真を貼り付けたり、風景の写真と組み合わせて加工したりしていました」

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