清原和博だけではなかった! 7人もいる通算2000本安打の“無冠の帝王”たち

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“孤高の天才”と呼ばれ……

 このほか、調べてみると清原以外にも何人もの「無冠の帝王」がいる。

 日米通算で2705安打を挙げた松井稼頭央(西武~メッツほか)がその1人。日本人初の内野手メジャーリーガーとして活躍した松井だが、最優秀選手(98年)、盗塁王3回(97年~99年)、最多安打2回(99年・02年)などは獲っているが、打撃3部門には届かなった。

 惜しかったのは99年。打率.330でリーグ2位となったが、前年まで5年連続で首位打者を獲得しているイチロー(オリックス)では相手が悪く、安打数ではイチローを上回ったが、イチローの打率.343にはかなわなかった。

 さらに、打撃3部門のタイトルを獲得していない選手には、通算2480安打を記録した立浪和義(中日)、通算2432安打を放った石井琢朗(横浜~広島)、90年代のヤクルト黄金期を支えた池山隆寛と宮本慎也、“孤高の天才”と呼ばれた前田智徳(広島)の名もあがる。たしかに「無冠の帝王」と呼ぶにふさわしい面々といえそうだ。

 そして、時代をさかのぼれば、もう1人、忘れてはいけない選手がいる。60年代から70年代にかけ大洋のクリーンナップを担った松原誠だ。

 松原は62年、埼玉県の飯能高から捕手として入団。その後、打力を生かすために一塁手に転向し、66年には初めて規定打席に達しレギュラーを獲得した後、さらに三塁手にコンバート。69年には開幕から4番に定着して万年Bクラスだったチームを牽引した。晩年の81年には巨人に移籍。この年限りで引退している。

“タコ足”で知られた捕球

 現役20年で積み上げた通算2095安打、331本塁打、1180打点は立派な記録だ。70年から8年連続で20本以上の本塁打を放ち、78年には打率.329、77年には110打点を挙げたこともあるが、タイトルとは無縁だった。

 しかも、松原の守備は送球を受ける際、足を目いっぱいに広げて捕球する“タコ足”で知られ、抜群にうまかった。それでもダイヤモンドグラブ賞(86年からゴールデングラブ賞)も一度も受賞していないし、ベストナインにも選出されたことはない。というのも松原の現役時代は巨人の王貞治と長嶋茂雄の全盛期としっかり重なっていたからだ。

 ここに名前を挙げた選手たちは打撃3部門のタイトルとは無縁だったが、ベストナインやゴールデングラブ賞といった少なくとも何らかの賞は獲っている。その中で、松原は74年と78年の2回、最多安打に輝いているが、残念ながら、当時の連盟表彰には入っていなかった。これだけの成績を残しながら何1つタイトルを獲れなかった松原こそ「真の無冠の帝王」といえるかもしれない。

清水一利(しみず・かずとし)
1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS!500人を救え!~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。

デイリー新潮取材班編集

2021年5月2日掲載

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