野村克也監督が最も慌てた試合も…今や懐かしい「ダブルヘッダー」で起こった珍場面

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「ヤマ勘で出した」ミットに

 まず三塁走者・柏原純一が飛び出し2死。続いて一塁走者・広瀬叔功もゆっくり二塁に走り、あっという間にスリーアウトチェンジになった。

 直後、南海ナインは全力疾走で守備位置に就き、守護神・佐藤道郎もわずか4球の投球練習だけで打者に相対した。「こんなせわしい野球は初めてや。ストライクは取らなあかんし、打たれたらあかんし……」とかつてない苦境に立たされた佐藤は、先頭の佐々木恭介にいきなり中前安打を許す。さらに1死後、羽田耕一に四球を与え、石渡茂の三ゴロで2死一、三塁となった。

 この時点で日没時間を過ぎ、球場は暗くなっていたが、吉田正男球審は「まだボールが見えていたので強行した。もう1人ランナーが出たら危ないところでした」とギリギリの選択をする。近鉄・西本幸雄監督も「返せる点差だし、フェアプレーの精神に反する」と遅延行為を禁じる指示を出していた。

 そして、最後の打者・阿部成宏は二ゴロ。捕球した鶴崎茂樹がうれしさの余り、一塁に思い切って投げ、ヒヤリとさせられたが、柏原がかすかな光を頼りに「ヤマ勘で出した」ミットに収め、18時35分、ゲームセットとなった。

 ダブルヘッダーを連勝で飾った野村監督は「勝つと負けるで大違いやからな。9回に日没で打ち切られたら、トラブルは必至のところやった。照明設備のないところでダブルをやるのは無理や」と疲れ切った様子。

 野村氏の半世紀近いプロ野球の選手、監督人生の中で最も慌てふためいた試合だった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年5月2日掲載

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