KOで意識を失い即入院 死線を超えた赤井英和が語る「俳優業の面白さ」(小林信也)

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お猪口1杯の水

 それから36年、私は赤井を自宅に訪ねた。赤井は最寄駅まで車で迎えに来てくれた。東京都内の高級住宅街。富士山が遥かに見える心地よいリビングが、その後の充実を物語っている。

「あの試合のことはまったく覚えていないんです。目を覚ましたら病院のベッドの上で、どうしてここにいるんや?って感じ。

 退院したのが3月11日、結婚して子どももいたんやけど、自宅に帰ったら嫁さんもおらへんし、荷物もなかった。それから辛い辛い4年間でした。何もすることがない……。先輩のお陰で近大のコーチはしてたんやけど、練習以外の残り22時間30分は、何もすることがなかった」

 体重は85キロに増えていた。転機となったのは笑福亭鶴瓶師匠に勧められて書いた自伝『どついたるねん』だ。それを映画にしたいと考えた阪本順治監督との出会いが赤井の運命を変えた。

「その体はボクサーやない。クランクインまでにリミットの67.5キロまで落とさんかったらカメラは回せん言われて。40日くらいの間に、ここでやれなきゃ負けや思てね。1日お猪口1杯の水で我慢した……」

 覚醒したといったら、あのときですね、と赤井はつぶやいた。

「今日も次の映画の台本を読んでいたんですが、朝読んでこうかなと思ったのが、昼読むとまた違う。やっぱこうやなと、そんなことを考えるのが楽しいんですわ」

 赤井はちょっとはにかみながら笑った。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2021年4月15日号掲載

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