日本を巻き込む韓国の文化財管理のズサンさ 費用をケチってクレーン車が文化財を直撃する事故や連続放火が

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ヨン様が通った名門校

 2021年3月8日、ソウル鐘路区の成均館で史跡第143号に指定されている「文廟東三門」が破損した。庭園の樹木を剪定するため、持ち込んだはしご車が落下するという全く想定外の事態が起こったことによるものだ。その3日前には、中西部の全羅北道で百済時代に創建された古刹の本堂が全焼。記録に残っているだけでもこれで4度目となる。日本から盗んだ文化財の返還を拒み、一方で日本にはことあるごとに文化財の返還を求める韓国。文化財管理のあり方に問題はないか。

 はしご車が落下する事故が起こった成均館は朝鮮王朝成立直後の1398年に設立された王立学校で、1945年、私立大学に改編された。

 1996年からはサムスンが学校運営に参加。黄教安(ファン・ギョアン)など朴槿恵政権下の3人の首相はいずれも同大学の卒業生で、ヨン様ことペ・ヨンジュンが通っていたことでも知られている。

 学内には、儒教聖賢の位牌を祀った文廟(宝物第141号)があり、天然記念物第59号に指定されている銀杏もある。

 さて、はしご車落下の一件だが、鐘路区が剪定することになったものの、樹木がある庭園はロの字型の壁で囲まれ、門は狭く、重機を入れることができない。

 そこで、はしご車をクレーンで吊り上げて屋根越しに移すことにしたのだが、ロープが切れて、はしご車が落下し文化財を直撃した。

 成均館側は「クレーンで車を吊り、(文化財の)屋根の上を越させる発想自体が誤りだ」「足場を設置すればできるのに費用を安くしようとした」と批判したが、後の祭りだ。

南大門も放火で焼失

 3月5日には全羅北道井邑市の内蔵寺(ネジャンサ)で大雄殿が全焼した。

 原因は、同寺に不満を持ち、僧侶たちと口論して酒に酔った53歳の僧侶がガソリンを撒いて火をつけたことによる。

 内蔵寺は百済時代の636年に創建された古刹で、文禄・慶長の役(1592~1598年)で全焼し、1639年に再建。日本統治時代の1938年に一新したが、朝鮮戦争でふたたび全焼し、1965年に再建。

 2012年には漏電による火災で全焼、25億ウォン(2億4000万円)を投じて15年に再建した。

 同じく放火で焼失ということなら、2008年2月10日、韓国国宝第1号の崇礼門(スンレムン、南大門)の一件を記憶されている方もいるだろう。

 午後8時40分頃、火災が発生。50台余りの消防車と消防署員約150人が投入されて初期の消火活動に成功したかに思われたが鎮火しておらず、ふたたび燃え上がって崩壊してしまった。

 容疑者は70歳の男性で、文化財への放火は2回目だった。

 都市再開発事業で住居を立ち退いた際の補償額に不満を持ち、まずは昌慶宮文政殿に放火。文化財保護法違反で懲役1年6月、執行猶予2年、追徴金1300万ウォン(120万円)の支払いを命じる判決が下されたが、その判決を不服とし、次に放火したのが国宝第1号だった。

 崇礼門には消火器しかなく、文化財庁は「スプリンクラーなどの消防施設を設置すれば文化財が壊れる可能性がある。1分以内に消防が出動できる場所なので設置しなかった」と言い訳した。

 消防側は「消化活動は文化財庁と協議して行うことが決められており、瓦の解体作業が遅れた上、水が凍結していた」と弁明した。

 国宝1号が焼失した原因は放火だが、文化財庁と消防の対応の遅れが追い討ちをかけたのだ。

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