松山英樹がマスターズ制覇の快挙を成し遂げた5つの勝因

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 松山英樹(29)が最終日18番ホールのボギーパットを沈めた3秒後に、私は思わず泣いていた。私は1986年大会からマスターズを取材してきたが、この年には中嶋常幸が8位タイになり、1973年の日本人として初めて10位以内に入ったジャンボと並ぶベストスコアを出し「まあ、いいとしよう。8位タイだもの」と喜んだ年である。それからは伊沢利光の4位タイ、片山晋呉の4位が出た。以来、松山がローアマになった2011年まで、まったく鳴かず飛ばずだった。

 ゴルフ記者を48年間続けている私も「タイガー・ウッズが出て来てからは絶望だな。あるとすれば片山流の5番、9番ウッドを多用して高い球で止める技術しかない」と諦めていた。

 松山の場合も、8年前の全英オープン(ミュアフィールド)で見せた粘り強く、またロングアイアンが抜群だったことから、この先の全英オープンを期待した。なにぶんにもマスターズは規定競技みたいなもので、それもロングヒッターで、短いクラブで高いボールを打ってグリーンに止めるパワーヒッター向きに改造された。全英オープン開催コースのようにリンクスで、あるがままの自然なコースでないため、体力のない日本人には不向きである。松山はそれをやってのけたのだから、ゴルフ記者歴48年の私は「松山は強くなったな」と感激した。

 実は私自身、松山はまた左親指の腱鞘炎に苦しんで予選落ちかなと諦めていた。3日目で2位に4打差をつけても左手親指が痛み出してボギーの連打で崩れるだろうと、期待しなかった。

 腱鞘炎の一件では、アメリカツアーに参戦を決めた2014年の正月、私は都内のホテルの宴会場でマスコミに囲まれた彼に対し、「左手の指の方はよくなったそうですね」と質問したことがある。ところが松山は記者たちの前で怒って私を睨みつけ、なんとも怪しい雲行きになった。私は週刊新潮の枠で取材に臨んでいた。そのあととなりの会見室で記者会見だ。ところが誰がどう言ったものか。幹事社のものが「週刊新潮は入らないでください」と私を除外して1時間半程、アメリカ出発前の記者会見が行われた。私は外で待ちぼうけなんてこともあった。

 さて、松山の勝因を分析すると、こうなる。

1.決勝のペアリングに恵まれた

 決勝の2日間を一緒に戦ったX・シャウフェレは英米の選手ながら珍しく大人しく、仏教信者的な柔和さと思いやりのある好人物だったことである。父親はドイツとフランスのハーフで、母親が日本育ちの台湾人で、日本語がペラペラだと聞いて、ふとタイガー・ウッズを思い出した。英米のプロは平気で視界に入る所に立ったり、ショットで威圧するところがある。まるでマッチプレーのように激しく闘志をむき出しにし、自分が打つと、後ろを振り返りもせずさっさと歩きだし、同伴者への思いやりなど見せない。私は全米、全英オープンを何年も取材してきたが、競い出すとこうして必ず威圧する選手が少なくない。青木なら「なにを、このヤロウ」と気を取り直して攻めて行くが、気の弱い日本人プロは、そこからズルズルと崩れる。

 ところがシャウフェレは3日目15番でイーグルを決めると、話しかけて、拳を突き合わせて互いに励ました。マスターズでは見られない美しい光景だった。片言の日本語で松山によく話しかけ、ジョークで笑わせていたともいわれる。私は彼が勝つといいな、とも思った。松山にとって、プレッシャーのかかる3日目、4日目をこうした人間と回れた幸運は、勝利への、隠れた、大きな要因になったに違いない。

2.新ルールでパットラインが修理できたこと

 今年のグリーンは固く、雨上がりのせいで重かった。多くの選手がパットをショートしていた。速いグリーンのタッチが体に染みついている選手ほどタッチが出せないでいる。「分かっているが打てない」のである。

 グリーンのコンディションも、最終組が回る頃には全選手とキャディの体重がグリーンを踏みつけるのでパットラインが凸凹になる。マキロイがパットに泣いて優勝できなかったときは、ラインが出せなかったせいだった。2年前に改正された新ルールでスパイク跡などを修理できるようになったので、公平なパットができたのである。

3.松山は怒らず、平静を保った

 これまでの松山はミスすると感情をムキ出してパターで靴やグリーンの芝を叩いたりして、注意されたことがあった。今年のマスターズでは目沢秀憲(30)コーチを同伴し、スイングをチェックしてもらったり、悩みを聞いてもらって、メンタル面で強くなっている。平常心が保てたのは目沢コーチとの相性からくる。かつて私が友利勝良プロの欧州ツアーに3か月間同行した時のことだが、必ず2人程、心理学者風のメンタルトレーナーが売り込みにきていた。1回50ポンド(約7500円)が相場で、悩みごと、戦う心理状態について話を聞いてくれる。松山の目沢コーチはゴルフを知っている上に、話を聞いてくれるのでメンタル効果があったのだろう。怒らなくなっていた。

4.15番ボギーが幸運を呼ぶ

 松山が最終日15番第2打をキャリーでグリーンオーバーさせて池に入れてしまったが、16番池近くからワンペナ払ってアプローチし、ボギーになったことは幸運だった。バーディを決めて-10として2打差に迫ったシャウフェレは行け行けドンドンで16番もバーディを決めようと、9番アイアンでピンを狙った。ところが彼のトップを見たとき、高すぎると思った。短いクラブで狙うときは往々にしてバックスイングが大きくなる。すると、フック系のボールになりがち。ドロー系のシャウフェレには16番のピンは左手前にあって攻め易いので狙ったが、失敗した。逆にフェード系の松山には攻めにくい。ピンの右に落としてランで寄せる作戦に出ているが、あまりにも完璧すぎてボールが止まってしまった。ピンを背負う形でのファストパットをいきなりボギーにするが、シャウフェレの池ポチャのダボに救われた。グラブ選択にも迷わなかった。

5.風が吹かなかった

 オーガスタの11、12、13番は右手の17番ホール側から風が下りてくる。しかし今年は4日間、こうした風はなかった。17番池も波が立たなかった。このことが、アイアンがフェード系の松山に味方した。

 しかし松山が優勝すると、にわかにそよ風が吹き、応援するスポンサーのロゴが輝いて見えた。それにしてもオーガスタは余りにも改造しすぎだ。これではアマチュアは予選パスさえ不可能になった。ボビー・ジョンズのアマチュア優勝希望も絶望的になった。本来のマスターズに戻してほしい。

早瀬利之(作家・ゴルフ評論家)

デイリー新潮取材班編集

2021年4月15日掲載

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