「綾小路きみまろ」が漫談で“禁句”にしている言葉とは コロナ禍を生き抜く中高年にエールも

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「老いるショック」

 浅草の演芸ホールに出させてもらうと、30~40代の芸人から人生相談をされることも増えました。

「師匠、なかなか売れないんですが、どうしたらいいでしょうか」

「いまいくつなの?」

「40代に入りまして……」

「あのねぇ、私は52歳で初めて売れたんだ。それに比べたら君なんかまだまだ若手だよ。いまやめてしまったら故郷を捨てて上京した甲斐がないじゃない」

 私の言う「諦めちゃダメだよ」は、実感がこもってるというよりも、実話ですから。誰もが「やる気が出ました! 師匠、ありがとうございます!」となりますね。

 まぁ、私も人気が出た当初は“一発屋”なんて呼ばれましたけど、ありがたいことに18年近く仕事が途切れることはありませんでした。コロナが蔓延するまではね。でも、そこで自分を見つめ直す時間ができたのは収穫です。思えば、これまでは仕事に前のめりで、1年先のスケジュールが次々と埋まっていくような状態でした。例年なら、いま頃は来年3月の予定を調整していたと思います。公演に穴を空けてはならないので、病気に罹るわけにもいきません。ちなみに、私はこれまで病欠ゼロです。そういう約束事で突っ走ってきたので、少しだけ解放感みたいなものがあったのは事実です。

 ただ、いくら「新しい生活様式」だと言われても、中高年が生活をガラッと変えるのは難しい。

 コロナは現代人が初めて経験する疫病かもしれませんが、中高年にとっては“老いる”ことも初体験。だいたい50代後半になると、視力が落ちて、耳が遠くなり、記憶だっておぼつかなくなって、体力もガクンと落ちていく。重たい荷物を持ち上げたわけでもないのに腰が痛んだり、地震かと思ったら耳鳴りで自分がフラフラと揺れていたりとかね。中高年はさまざまな体調の変化に直面する。まさに“老いるショック”です。

 私だって70歳ですから調子の良い時もあれば、悪い時もあります。それでも50代と同じ仕切りで1時間のステージをこなしている。むしろ、いまの方がガンガン攻めてるくらいです。とはいえ、調子が悪いと最初の20分間がとても長く感じられます。反対に調子が良い時は「あれ、もう30分?」という感じ。要は、ショーが健康のバロメーターになってるんです。

 漫談を生業にする以上、滑舌が悪くなったら終わりだと思ってます。やっぱり言葉に力がないとお客さんに伝わりません。あとは、同じ話を何度も繰り返したり、ネタを忘れてしまったりしないように気をつけています。政治家がスピーチする時のようにプロンプターは使いません。その辺は意地かもしれないね。

 いまの中高年が大変なのは、心身ともに不安定なタイミングで、コロナ禍に見舞われてしまったこと。中高年は根が真面目だから、ステイホームと言われればずっと家に閉じこもっているでしょう。それこそ、外出したら死んじゃうくらいに悲壮な思いでじっとしている。散歩もしないんだから、足腰が弱るのも無理もない話です。

 コロナの問題は体の不調だけではなく、家庭にも及びます。これまで仕事ひと筋だったお父さんは家にいる時間が短かった。家に帰るのは休憩みたいな感覚の人もいたと思います。それなのに家にずっといることを強いられて、お父さんもお母さんもイライラし始める。

 そんな時に、余計なことを口にしたら夫婦ゲンカになること請け合いです。

 私の芸風は“毒舌漫談”と呼ばれ、中高年をいじっているように見られますが、あくまで中高年への愛情を込めた毒舌なんですね。

 ただの悪口にならないよう気をつけて、ライブでも決して言わない禁句があります。

 ブスやデブ、ジジイ、ババアなんて言葉は絶対に使いません。ババアではなくて「昔はお綺麗だった昭和のお嬢様」、「前期高齢者に後期高齢者、さらには超高齢者の皆さま」という感じです。ブスなど以ての外で、代わりに「そのようなお顔にお化粧をされて、さぞかし大変だったでしょう」と表現する。中高年を傷つける禁句は使わず、むしろ彼らが吹き出してしまうような言葉のマジックを使うんです。

 それと同時に、

「私も人の顔をどうこう言えるような顔ではございません。道に迷ったタヌキのような顔をしております」

 と付け加えることも忘れません。もし私が羽生結弦さんみたいなイケメンだったら、同じネタをやってもダメでしょうね。道に迷ったタヌキだから顰蹙を買わないわけです。

同じ時代を生きる

 その上で、老いとか病気といった身近な話題を面白おかしく脚色し、漫談にしていきます。要は“あるあるネタ”なんですよ。落語と違うのは、会場に集まったお客さんの生活に密着した話題をテーマにするところにあります。

 たとえば、同窓会のネタ。ウン十年ぶりの集まりなのに、全員が無言で壁を向いている。何かと思えばみんな粉薬を飲んでいた、とかね。卒業アルバムを広げても、飛び出す会話は「この人亡くなったのよ。こっちは寝たきりで、あっちはガン。そちらは行方不明みたい」と言ってみたり。

 お客さんが“あるある”と共感して、笑ってくれれば大成功です。

 コロナ禍になって改めて感じますが、“笑う”という行為は動物のなかで人間だけに唯一許されたもので、免疫機能を高めることも実証されている。でも、いまは飛沫感染とかで、中高年が声を出して思い切り笑うことすら憚られる状況でしょう。本当はステイホーム中でも笑えばいいんですよ。それこそ、自分の顔を鏡に映して「いやねぇ、こんなにシワが増えちゃって。ウフフ」ってね。それくらい気持ちを軽くしてもらいたいなぁ。

 私だって寂しいところはありますよ。以前なら、ショーが終わると、スタッフが会場の床に落ちた入れ歯を拾い集めていましたからね。つまり、入れ歯を落とすほど大笑いしてくれた。

 私としては、中高年のお客さんに、「今日はきみまろの漫談を聞けて面白かったねぇ」と感じてもらうだけでうれしい。ショーが終わった後、会場の玄関を出る時にそんな感想が聞こえてきたら、それ以上の喜びはありません。

 だから、いいんですよ、「あの人、結局、何を喋ってたんだっけ」と言われても。私の公演はだいたい午後2時に始まって、3時半頃にはお開きになるんですが、多くのお客さんはそこからスーパーで買い物をして、家族のために夕食を作る。そういう中高年に私は支えられてるの。

 テレビ番組に出てくる若手芸人のネタでは笑えない。でも、きみまろだったら笑える。そんな中高年のお客さんと同じ時代を生きてきたことが、私にとって最大の宝ですね。

週刊新潮 2021年4月8日号掲載

「実況中継 コロナ禍の中高年にエール 公演中止『綾小路きみまろ』が誌上漫談」より

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