「綾小路きみまろ」が漫談で“禁句”にしている言葉とは コロナ禍を生き抜く中高年にエールも

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 長引く自粛生活のせいで、旅行どころか散歩もできず、離れて暮らす孫にも会えない。そんな中高年にこそ笑いが必要と説くのは、ご存じ、綾小路きみまろ氏である。52歳にして大ブレイクを果たした人気漫談家が贈る、コロナ禍を生きる同世代への爆笑エール!!

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「中高年のアイドル」と呼ばれる私も、昨年12月に70歳を迎えました。最近は歩くだけでひざがコキコキ鳴るんです。それで、「あぁ、古希になったんだなぁ」って。そんな私からしても、やっぱりコロナは中高年の暮らしや生き方を大きく変えたと感じますね。

 人生を富士山に喩えると、中高年はコツコツと頂上付近まで登山道を上がってきたわけです。でも、そこでいきなりコロナという名の大雪崩が起きて、五合目まで押し戻されてしまった。

 定年間近にリストラされたり、貯金を取り崩して生活費の足しにする方も少なくありません。老後の楽しみにしていた旅行にも行けず、可愛い子や孫が帰省する予定も飛んでしまった。

 コロナ疲れに自粛疲れ、「緊急事態宣言」疲れも重なって、そこからもう一度、歩き出すというのは、中高年にとって本当に大変なことだと思います。

 これまで毎月10本くらいあった私の公演も、コロナが大騒ぎになった去年2月以降は一斉に中止や延期へと追い込まれました。9月頃からポツポツと地方で公演が再開となりましたけど、2千人の会場なら半分の千人までしか入場できない。お客さんが1席おきに座るので、客席はまるで市松模様のような有り様です。しかも、全員がマスクをするのはもちろん、前列はフェイスガードが必須。ロビーでCDを販売することもできませんでした。

 なかには、チケットを買っていざ会場に向かおうとしたら、子どもたちに止められた女性客もいらっしゃいます。「お母さんが感染して帰ってきたら、孫にも伝染しちゃう」と。キャンセルが多くてショーができないという事情もあるんです。

 でも、そんな状況だからこそ、数少ない公演ではこれでもかってくらい力を込めて臨みましたよ。すると、笑いを忘れていたお客さんが徐々に身を乗り出してきて、そのうちマスクを突き抜けて笑い声が漏れ始める。ステイホームで家に閉じこもっている中高年は、やっぱり笑いを求めていたんだと実感しました。

 しかも、コロナが蔓延してからというもの、パンデミックにエヴィデンスと聞いたことのない言葉が次々と出てくるでしょう。私をはじめ中高年にはついていけませんよ。

 漫談では、よく夫婦の会話をネタにするんですが、最近では、

「お父さん、今日の夕飯は何を作ろうかしら」

「そうだな、たまにはシチューが食べたいな」

「あらやだ、お父さん、何を言ってるの。シチューなんて絶対ダメよ!」

「どうして?」

「だって、シチュー(市中)感染しちゃうじゃない」

 といった具合です。

 他にも、

「そういえば“三密”って何のことかしら」

「決まってるだろ。あんみつに黒みつ、それに白みつのことだよ」

 もっとお知りになりたければ、ぜひ私の公演に足を運んでください(笑)。

“老婆の休日”

 さて、コロナ禍で仕事が激減した際、私が何をしていたかというと、農業に精を出していました。もともと鹿児島の農家出身で、幼い頃から父親にいろいろと教えてもらっていたんです。

 しかも、公演が中止や延期に追い込まれた去年の3月以降は、ちょうど畑を耕す時期と重なった。山梨県の富士河口湖町に自宅があるので、そこにこもってカボチャやナス、ニンジン、大根、ニガウリにハーブまで育てるようになりました。春が近づくに連れて富士山の雪がだんだんと溶け出し、中腹辺りの残雪が鳥のような形に浮かび上がる。“農鳥(のうとり)”と呼ばれる現象で、麓の農家ではこれが見えたら農作業を始めるんです。そんな江戸時代からの言い伝えも身をもって経験しました。実際、種を蒔いて、収穫する頃まで公演が止まっていたので、200坪近い畑を回って愛情を込めて育てましたよ。濃厚接触じゃなくて“農耕接触”ですね。

 ある意味で、コロナがそういう時間をもたらしてくれたとも感じます。あなたは十分に駆け足で生きてきたじゃない、ここらでひと休みしなさいよ、と。そう自分のなかで切り替えることができたのがよかった。「ローマの休日」ならぬ“老婆の休日”といったところです。

 とはいえ、私の場合は、40代後半まで長いこと潜伏期間がありました、コロナに感染したわけでもないのに。50歳の節目に歌謡ショーの司会を卒業して、漫談のテープを自作してね。芸風には自信があったけど、世の中に届ける方法がないので、老人ホームや美容室みたいな中高年が集まる場所に持ち込んではどうかと考えていました。

 そんな時に思いついたのが観光バス。東名高速なら足柄、中央自動車道は談合坂といった大きなサービスエリアに出向いて、添乗員さんにタダでカセットテープを配り始めたんです。「渋滞にはまったらかけてみてください」、「お客さんがBGMの音楽に飽きたらぜひ」と言いながら。テープの代金は自腹ですし、女房をはじめ親戚まで総動員してダビング作業に勤しみまして、「何をバカみたいなことしてるんだ。カネをドブに捨てるようなものじゃないか」と言われたこともありました。

 確かに、会社勤めをしている人の50歳といえば、人生も半ばを過ぎて、定年が頭にチラつく頃です。実際、やりたいことがあっても年齢を理由に諦めちゃう中高年は少なくないと思う。

 でも、私はそこで諦めなかったからこそ人気が爆発したわけです。観光バスのお客さんが腹を抱えてゲラゲラ笑い出すと評判になって、テープの発注が急増。勢いに乗って漫談のCDを出したらバカ売れしました。52歳にして大ブレイクです。オリコンの売上ランキングで3位になりまして、若者に大人気の浜崎あゆみやEXILEとトップ争いを繰り広げましたからね。

 たとえ中高年でも、年齢を言い訳にしないで頑張れば大逆転はあります。とにかく足跡を残すことが大事。〈僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る〉ってことです。どうですか、グッとくる言葉でしょう? 私じゃなくて、高村光太郎の言葉ですよ(笑)。

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