天皇陛下が使用する「国民」と「皆さん」 呼称の違いを考える(古市憲寿)

  • ブックマーク

Advertisement

 令和時代の天皇は「国民」ではなく「皆さん」という言い方を好む。

 2019年5月、即位後初となる一般参賀が開催されたが、その時の「お言葉」が象徴的である。「今日このように皆さんからお祝いいただくことをうれしく思い深く感謝いたします」というように、「国民」ではなく「皆さん」を積極的に用いていたのだ。他の「お言葉」でも、「上皇陛下」や「歴代の天皇」の歩みに言及する時は「国民」を使用するものの、自身の言葉としては「皆さん」が中心だ。

 2021年の「新年ビデオメッセージ」でも「皆さん新年おめでとうございます」というように「皆さん」を10回使用する。一方で「国民」は1度だけ。しかも「国民の皆さん」という言い方だ。

 対照的に、平成時代の天皇は「国民」を好んだ。1990年に開催された一般参賀でも「今日このようにして国民の祝意を受け、誠にうれしく深く感謝の意を表します」と述べている。

「皆さん」には開放的で、平等的な響きがある。

 この時代、「お言葉」を聞くのは何も「国民」だけではないだろう。「国民」とは「日本国籍保持者」と同義である。しかし日本国居住者のうち300万人弱が外国籍だ。さらに事情があって日本国籍を離脱した元「国民」もいるだろう。「皆さん」とは、そのような人々をも包摂し得る言葉だ。

 そんな「国民」と「皆さん」の関係に異変が起こった。

 2021年2月、天皇誕生日に先立ち実施された会見では「国民」が15回用いられたのに対して「皆さん」は16回で、うち7回は「国民の皆さん」である。「我が国の国民の忍耐力や強靱さに感銘を受ける」といったように、これまで意図的に避けてきただろう用法でも「国民」を用いていた。政治学者の原武史さんは、ツイッターで「どこからか(たぶんあの方からか)横やりが入ったか」と推測する。

 日本国の象徴が「国民」と「皆さん」のどちらを使うべきかには賛否両論があるのだろう。

 一般人が使う時でも「国民」にはどこか排他的な響きがある。たとえば「日本国民は怒っている」と言えば、怒っていない人は論理的に「非国民」ということになってしまう。

 僕自身、国家や政府を主語に物事を語る時や、統計を紹介する時などを除き、できるだけ「国民」を使わないようにしている。ただでさえ偉そうな文章に、統治者目線まで加わってしまうのが嫌だからだ。

 国家主義者が「国民」を多用する分には驚かないのだが、あるライターがさらっと「日本の国民性」と紋切り型の言葉を使っていて驚愕した覚えがある(武田砂鉄『紋切型社会』朝日出版社)。その「日本の国民性」とされる事例に共感できない読者は「日本の国民」ではない、ということなのだろうか。

 もちろん「皆さん」にもケチは付けられる。強制的に自分も含まれる逃げ場のない言葉だからだ。たとえばNHKは「みなさま」を多用するが、自分は「みなさま」に含まれないと受信料の支払い拒否が多発している。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2021年3月18日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。