甲子園は夢のまた夢…無名の公立高校から“大出世”を果たしたプロ野球選手は

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“普通の県立高校”

 3月19日に開幕する選抜高校野球。初出場が10校というフレッシュな顔ぶれではあるが、全国トップとなる春夏の甲子園優勝9回を誇る中京大中京(愛知)、その中京大中京に迫る8回優勝の大阪桐蔭(大阪)をはじめ東海大相模(神奈川)、天理(奈良)、智弁学園(奈良)、仙台育英(宮城)、敦賀気比(福井)、明徳義塾(高知)といったいわゆる甲子園常連校も少なくない。プロが注目する選手は当然こういった強豪校に多く、大会期間中、連日スカウトが甲子園を訪れることが恒例となっている。

 しかしその一方で高校時代は甲子園出場など“夢のまた夢”というチーム出身ながら、プロの一流へと成長を遂げた選手も確かに存在している。そこで今回はそんな高校野球無名校出身ながら、大出世を果たした選手たちをピックアップしてみたい。

 現役の選手でまず筆頭と言えるのが千賀滉大(ソフトバンク)になるだろう。千賀の出身は愛知県立蒲郡高校。甲子園の出場実績はなく、過去15年の成績を見ても夏の愛知大会3回戦と言うのが最高成績である。愛知県は全国でも有数のチーム数を誇り、秋と春は地区大会を勝ち抜かなければ県大会に出場することができないが、この15年で県大会出場したのは2012年秋の1回のみである。まさに“普通の県立高校”と言えるだろう。

 千賀自身は県内では多少注目される存在だったというが、在籍期間中も秋、春は地区大会で敗退しており、夏の愛知大会でも3回戦で同じ県立の岡崎商に敗れている。2010年の育成ドラフトでソフトバンクに指名され、その後の活躍は改めて紹介するまでもないが、ここまでの投手になると予想していた人は誰もいなかっただろう。千賀にとって幸運だったのは当時スカウトだった小川一夫氏が千賀の入団と同時に二軍監督となり、その才能や長所をよく理解していたことではないだろうか。こういった巡り合わせの良さや運も選手の才能開花に大きく影響することは多い。

セカンドの控え

 日本代表クラスの選手でありながら無名校出身となると、岸孝之(楽天)もそのケースに当てはまるだろう。岸は宮城県立名取北高校の出身。過去15年間の成績を見ると春1回、秋2回県大会の準々決勝進出を果たしているが、ほとんどが2回戦程度で敗退しており、甲子園に絡むほどの成績は残していない。岸が在籍していた時も3年夏は2回戦で敗退しているが、1回戦では5回参考ながらノーヒット・ノーランを達成。この試合をたまたま東北学院大の監督が見ていたことから進学に繋がり、大学で大きく才能が開花することとなった。岸自身、高校時代はそれほど野球に対して熱心ではなかったとのことで、このケースも偶然の出会いが運命を変えたケースと言えそうだ。

 千賀と岸はチームとしての力はなかったものの、自身はその地域ではそれなりに知られた選手だったが、本人もチームも完全に無名だったというケースもある。

 その代表例が又吉克樹(中日)だ。又吉は沖縄県立西原高校の出身。2019年には夏の沖縄大会で準決勝進出を果たしているが、それ以前は目立った実績はなく、又吉の在籍当時も公式戦ではほとんど勝利を収めていない。そんなチームにあって又吉はセカンドの控えとしてプレーしていたというのだ。

 そんな選手が高校卒業後に身長が大きく伸びたこともあってメキメキと成長。進学した環太平洋大でも全国的には無名だったが主戦となり、その後、四国アイランドリーグの香川で更に実力を伸ばして独立リーグ出身選手としては現時点で最高順位となる2位でプロ入りを果たしたのだ。高校時代のプレーぶりからすると、千賀や岸以上の出世ぶりと言えるだろう。

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