「客を慰めることが自分の癒やしになった」 震災直後、デリヘル嬢たちが向き合った“絶望”と“再生”
「お風呂に入れなかったお客さんの頭を洗ってあげた」
10年前の東日本大震災で、4千人近くの死者・行方不明者を出した宮城県石巻市。「戦場から風俗まで」を取材テーマにしているノンフィクション作家の小野一光氏は、震災後すぐに現地へ。そこで出会ったのは、自らも被災した風俗嬢たちだった――。
(「新潮45」2012年3月号より抜粋)。
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小野氏のレポートは、石巻市のデリヘル経営者の談話から始まる。地震発生時、店では3人の女の子が接客中だったというその店の経営者は、彼女たちと一緒に車で避難しながら、他の女の子たちの安否を確認し続けた。
「(4日後から本格的に連絡を取り始めて)幸いにして全員と連絡が取れました。ただ、そのうち三人が親とか身内を亡くしていて、三人が家を津波で流されていました。営業再開を早めたのは、商売のこともありましたけど、まずは女の子に現金を早く稼がしてあげたかったから。事務所にしていた場所は津波で流されてしまったので、まず知り合いのつてを当たって新しい部屋を確保し、働きたいという女の子に出て来てもらったんです」
こうして震災から1週間後、店は営業を再開した。
小野氏は店の女の子たちにも話を聞いている。最初に登場するのは19歳から同店で働いているというアリスさん(21、仮名、以下同)だ。彼女は家族も自宅も無事で、すぐ仕事に復帰している。
「車や家を流されたという人が多くて、なかには身内とか友だちを亡くしたという人もいました。ほとんどの人が癒やしを求めていて、しばらく風呂に入れなかったというお客さんの髪を洗ってあげたりしました」
当時、避難所で風呂のない生活を強いられている被災者は多かったのだ。市内で辛うじて営業していた2軒のラブホテルの前には、車が列をなして待っていた。
両親の死後、「デリヘルの仕事に救われた」
また、別の店で働くチャコさん(28)は「お客さんは震災前より増えた」と証言している。中には、津波で家族の大部分を失ったばかりの客もいたという。
「そんな場合じゃないってことは、本人がいちばんわかってるんだと思いますよ。そのお客さんは『いけないとは思うけど、人肌が恋しかった』と口にしてましたから。たぶん、そういうものがなければやり切れなかったんだと思います。そういう人がいっぱいいましたもん。まわりが辛いことだらけだから、せめて今だけは楽しみたいという人が……」
一方、デリヘル嬢側にも震災で肉親を失った者がいた。ルカさん(42)は津波で両親を亡くした後、鬱状態になってしまった。知人に仕事に戻ることを勧められデリヘル嬢の仕事を再開すると「本当に癒やされた」のだという。
「ブログに自分の境遇を書いていたんですけど、いろんなお客さんから慰めの言葉や優しい言葉をかけてもらえました。また、私どころではない、凄絶な体験をした人がいっぱいいることも知りました。それによって私も、これしきのことで負けてはいられないと思い、一からやり直せるという気持ちになれたんです」
彼女によれば、客を慰めることもまた、みずからの癒やしになるのだそうだ。
有料版では、震災のトラウマから心療内科に通うようになった店の女性たちにもインタビュー。彼女たちが語る「仕事に救われた」とはどういう意味なのか――。決して陽の当たることはないが、確かにそこにあった物語をレポートする。