袴田事件、「味噌漬け実験」で静岡県警のでっちあげに肉薄する支援者「男性」の執念

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唯一生存の長女は自殺

 袴田事件では橋本藤雄専務の19歳の長女が一人だけ生き残った。たまたま事件の直前に旅行から帰宅したら戸が開かなかった。「今帰った」に「わかった」と男の声がしたという。その声が藤雄さんだったのかどうか。

 なぜかこの長女は再審開始決定の直前に自殺している。山崎氏は「交友関係が派手だったことなどで父親と反目していました。彼女を疑う人もいました。彼女が何か知っていたような気がします。生前に話してくれれば違ったのでは」とするが、かなり精神に変調をきたしていたという。

 今年1月31日、事件現場を案内してもらった。現場は三年ぶりだ。橋本専務の自宅と味噌工場、寮の間を東海道線が通っている。工場跡は住宅になっている。家は建て替えられたが今は無人。土塀づくりの蔵は事件当時のまま残る。橋本家の墓を訪れると墓石に長女の名も刻まれていた。

 この日午後、同会が主催する集会が事件現場から遠くないJR清水駅近くの会場で開かれた。コロナ禍で人数制限したが50人以上が参加し、姉の秀子さんとともに巌さんも久しぶりに登場した。巌さんの挨拶は相変わらず頓珍漢だったが、以前ほどあちこちに話が飛ばないようだった。講演ではメイラード反応などを調べていた弁護団若手の間光洋弁護士が、5点の衣類の不自然さなどを説明した。

 司会をしていた山崎さんは「どんな実験をしても味噌漬けの血が赤い色のままなんてありえない。撮影の影響で色が鮮やかだったわけではない。当時見た人たちも『赤かった』と証言していますよ」と話した。

 半世紀以上に及んだ「袴田事件」の審理は、ここへきて山崎氏が執念を燃やす「味噌漬け実験」だけに集約された。東京高裁の再審開始決定は近いとみたいが山崎さんは「安心はできません。名張毒ぶどう酒事件が同じような経緯で再審が認められなかった」と話す。

 翌2月1日、浜松市の自宅で筆者が取材した秀子さんは「歳なんて関係ない。90だろうが100だろうが戦いますよ」といつものように意気軒高だった。弟の雪冤ため、人生の大半を注ぎ込んだ秀子さんは2月7日に米寿を迎えた。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮取材班編集

2021年3月1日掲載

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