「肩書き」なんていらない!?  芸能人? タレント? どれもしっくりこないふかわりょうが辿り着いたもの

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「お前は芸人ではなく、タレント」

 しかし、この「タレント」というのも曖昧で、明確な定義がありません。テレビや芸能界で活動する人を指す場合もありますが、どこまで許容するのでしょう。意味でいうと、「才能」からきているものの、果たしてどういう「才能」があるのか。もちろんタレントであることに誇りはあり、妥協しているわけでも、名乗ることが嫌なわけでもありません。ただ、どうも、しっくりこないのです。片や、最初に叩いた芸能界の門が「お笑い」の門なので、「お笑い芸人」でもいいのですが、以前、先輩にこんなことを言われました。

「お前は、芸人ではなく、タレントだ」と。その時はあまり理解していませんでしたが、先輩曰く、テレビを主軸にやるか、舞台を主軸にやるかの違い。前者の場合、番組のためのキャストであり、テレビという大きなテーマパークのキャラクター。番組における役割を担う。テレビに捧げている。それに対し後者は、あくまで主軸は舞台。お客様を笑わせてナンボ。芸人としての生き様。私は「芸人」と思っていても、社会的役割は「タレント」だったようです。誰もがその違いを気にしているわけではないですが。

 現在はすっかり親しまれている「お笑い芸人」という言葉が生まれたのは、80年代後半でしょうか。バラエティー番組の隆盛期。番組を盛り上げる役として重宝がられました。それまでは、「漫才師」や「コメディアン」という肩書きをよく目にしていた気がします。古くは、「喜劇役者」という表現もありましたが、これが似合うのは、チャップリンやMr.ビーン、日本だとかつて「エノケン」で親しまれた榎本健一氏や藤山寛美氏などでしょうか。

 私に似合う肩書き。どの肩書きをまとったらいいのでしょうか。自分に似合う眼鏡を探すように、しっくりくるものが見つからないまま今日にいたります。実際に眼鏡もそうなのですが、自分が鏡で見て似合わないと思っていても、周囲から見たら似合っていると感じているケースはあると思います。だから、私が似合わないと思っているだけなのかもしれないですが、しばしば「芸人らしくない」とも言われます。あいつは何がやりたいのだ、一体どこへ向かっているのだ、調子のんな、ふざけんな消えろ、と。見ている側もしっくりきていない。自分でも心当たりがあるからこそ、ずっとコンプレックスでもありました。

「何者でもない人」

 すると、何気なく見ていた雑誌の見出しが目に留まります。

「何者でもない人、という価値」

 ラジオ局員のインタビュー。簡単に言うと、何者でもないことって素晴らしい、と。救われた気分でした。例えば所ジョージさん。確かによくお見かけしますが、「お笑い芸人」かというとそうでもなく、「タレント」とも違う気がします。そういう意味では、「何者でもない人」であり、職業や肩書きを超越している印象。そうか、何者でもないは悪いことではなく、長所であり、胸を張っていいのか。私のコンプレックスでもある「らしくない」「何者でもない」という状況を受け入れられるようになりました。「何者でもない人」という、ある種「マルチタレント」の対極にあるような肩書きに飛びつきました。果たして、世の中は受け入れてくれるでしょうか。

「ふかわりょう(何者でもない人)」

「ふかわりょう(該当なし)」

 やはり、社会は既成の肩書きを求めてきます。ならば、最後の手段です。

「肩書きは、ふかわです」

 行きつくところはここしかありません。「肩書きは、矢沢です」の世界観。全てを超越し、肩書き不要の境地。生き様こそが職業であり、肩書きであり。私が真似すると、あいつとうとうおかしくなったかと心配されるでしょう。

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