人類の夢「不老」を可能にする仰天の発見! 老化細胞を除去する薬とは

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老化細胞を兵糧攻めに

「人間の細胞はリソソームという細胞小器官を備えていて、その内部は、古くなったタンパク質を取り込んで分解するために強力な酸性で満たされています。老化細胞の場合は、リソソームの膜に傷ができてしまい、その傷口から水素イオンが染み出して細胞全体が酸性に傾いていく。問題はここからです。正常な細胞は、内部が酸性になるとやがて細胞死を迎えますが、老化細胞はそうではありません。細胞内にあるGLS1のスイッチをオンにして死滅するのを防いでしまう。より具体的に説明すると、GLS1はグルタミンをグルタミン酸に変換する働きがあり、同時にアンモニアを産出します。このアルカリ性のアンモニアによって、酸性に傾いた細胞内を中和するのです。そのことを見出した私たちは、GLS1の働きにストップをかけ、老化細胞内の酸性を維持しつつ、自然に細胞死へ導く方法を考えました。いわば補給線を絶って、老化細胞を兵糧攻めにするわけです」

 果たして、中西教授らが開発したGLS1阻害剤をマウスに投与すると、老化細胞は一網打尽となったのである。

 この研究結果が示唆する可能性は計り知れない。

 老化細胞が人間の健康にとって、極めて厄介な存在なのは間違いないからだ。

「老化細胞は増殖機能こそ失われているものの、炎症性タンパク質を分泌する“SASP”と呼ばれる特徴を持っています。そのせいで臓器や組織で慢性炎症を引き起こし、さまざまな加齢性疾患の原因にもなる。具体例を挙げると、脳ではアルツハイマー病をはじめとする認知症、目では白内障や緑内障、血管に由来するものだと動脈硬化など。心臓においては心不全や心筋梗塞、さらに、血中のインスリンに対する感受性が低下して糖尿病の悪化リスクも高めます。また、最近では、サルコペニアという加齢性の筋力減退の原因になるとも指摘されている」

 動脈硬化、心筋梗塞、糖尿病など、新型コロナの重症化リスクや死亡率を高め、高齢者の健康を脅かす疾患の背後には、常に老化細胞が潜んでいるわけである。

 しかも、老化細胞が分泌する炎症性タンパク質は遺伝子をも傷つけ、組織の“がん化”まで促してしまうというから厄介なのだ。

 だが、重要なのは「細胞の老化=悪」と単純に言い切れない点だ。

 これまで述べてきたことと矛盾するようだが、細胞の老化は人体に有益な側面もある。

スイッチをOFF

「細胞老化のプラスの作用として挙げられるのは、がんを防ぐ役割です。がん細胞は正常な細胞の遺伝子に2~10個ほどの傷がつくことで発生し、体からの命令を無視して増え続け、大切な組織を壊してしまう。これに対し、人間の体はがん細胞とその周囲の細胞を老化させることで増殖に歯止めをかけてきました。つまり、細胞の老化はがんを防ぐために人体に組み込まれたプログラムということができます」

 老化細胞が“がん化”を促すとしながら、その一方で、細胞の老化はがんを防ぐプログラムであると聞かされると、少々混乱されるかもしれない。

 ここまでの話を総合すると次のようになる。

「がんを防ぐ意味では細胞老化のプロセスを抑制してはいけない。しかし、SASPが引き起こす加齢性疾患から人体を守るために、老化した細胞は取り除いた方がいいのです」

 つまり、細胞老化のプロセスと老化した細胞そのものを切り離して、アプローチするということだ。

 実は、GLS1阻害剤はすでに抗がん剤として臨床試験が進められている。

「というのも、ある種のがん細胞は、GLS1に依存して増殖することが分かっています。がん細胞は活発に細胞分裂を行うため、DNAの基となる核酸を大量に必要とする。そこで、GLS1のスイッチをONにして、グルタミンを分解し、核酸を作るための材料にしているのです。そのスイッチをOFFにすることができるGLS1阻害剤を利用して、がん細胞の増殖をストップさせるという考え方ですね。実際に、海外の製薬会社が中心となって、去年からヒトに対する臨床実験が始められています」

 抗がん剤としての臨床試験で明らかな副作用が認められなければ、GLS1阻害剤を、老化を防ぐ薬として用いていくための道も開けてくる。

「実際に老化の分野でGLS1阻害剤が使えるようになったら、いの一番に投与したいのは早老症の患者さんたちです。この病気は日本人に多い遺伝性の難病。一般の人に比べて老化細胞の蓄積が速く、20~30代から老化が始まってしまう。有効な治療薬も見つかっていません。早老症の患者さんで効果が確認できれば、加齢性疾患に悩む高齢者に投与していくこともできる。最終的には、老化を防ぐために恒常的に薬の投与を続け、健康寿命を大きく延ばすことを目標にしています。誰もが加齢による疾患や身体の機能低下に悩まされることなく、健康なまま寿命を迎える。真の意味で、長く健康に生きられる世界にしていきたいですね」

 老いを憂えたり、恐れたりすることなく、健やかに天寿を全うする――。

 中国全土を掌中に収めた秦の始皇帝ですら叶わなかった夢が、いま現実のものとなりつつある。

中西 真(なかにしまこと) 
東京大学教授。41985年、名古屋市立大医学部卒業後、自治医科大助手、米国ベイラー医科大留学、国立長寿医療研究センター老年病研究部室長を経て、2016年から東京大学医科学研究所教授。細胞における老化とがん化の研究の第一人者。

週刊新潮 2021年2月18日号掲載

特集「『老い』の正体をつかんだ! 『老化細胞』を除去する仰天の発見 夢の薬『GLS1阻害剤』」より

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