市場経済体制に向け動き出した北朝鮮――武貞秀士(拓殖大学大学院客員教授)【佐藤優の頂上対決】

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韓国への「上から目線」

武貞 開城連絡事務所の爆破には、韓国に対する北朝鮮の「上から目線」が背景にあります。韓国人にはあまり自覚がないと思いますが、北朝鮮の行動を見るとき、これは重要なポイントです。北朝鮮が持っている高射砲や多弾頭ロケットを夜中に一斉にソウルに向けて発射したら、韓国は危機的状況に陥ります。しかも北朝鮮はそれを単独でやれますが、韓国は米軍との関係もあり、即時対応できるわけではない。だから北朝鮮は軍事的に優位にあると考えている。それが行きすぎて、「上から目線」がいろんな局面に現れてきます。

佐藤 よくわかります。朝鮮戦争の休戦協定では、韓国の李承晩大統領が調印式に参加せず、韓国は当事者ではなくなってしまいました。協定は中国の人民解放軍と北朝鮮軍が国連軍と結ぶという構成になっています。北朝鮮から見れば、国連軍、実質は米軍との協定で、その傘下にある一国が韓国です。だからアメリカの従属国として見ている。

武貞 韓国への上から目線は、対南戦略上、マイナスに働くことがある。うまくやれば韓国から支援が獲得できる場合でも、自らその芽を摘んでしまう。韓国との関係改善を進めてトランプ大統領を出し抜くことだってできる場面がありました。でも、上から目線が過ぎ、結局、米朝交渉に集中しすぎて、南北関係も米朝関係も膠着状態になってしまいました。

佐藤 その意識はなかなか変わらないでしょうね。

武貞 北朝鮮は主義主張が一貫し、それを一つのファミリーがやってきた。このため独特のバイアスがいろいろなところに生じているのです。

佐藤 軍事についても同じことが言えそうですね。今回の労働党大会では、原子力潜水艦を保有する議論をすると発表しました。

武貞 これは、アメリカの東海岸まで潜ったまま進んで攻撃できる能力を持ちたいと言ったのと同じです。このようにアメリカを必要以上に刺激してしまうのも、北朝鮮内部にあるバイアスですね。

佐藤 実際に原子力潜水艦を造れると思いますか。

武貞 簡単ではないでしょうね。これまでは3千トン級のディーゼル型潜水艦にSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を載せる計画でしたが、まだ搭載するまでにはいたっていない。2019年に海中の発射台から発射したことはありますが、潜水艦から打ち上げた実績はありません。

佐藤 そもそも原子力潜水艦自体に、非常に高度な技術が必要です。

武貞 そうですね。原子炉を中に設置するのに時間がかかるわけで、中国だって毛沢東主席が造りますと言って10年以上かかりました。もし造るなら、中国とロシアから相当の技術が入ってこないと無理でしょう。

佐藤 ICBM(大陸間弾道ミサイル)はどういう状態ですか。

武貞 昨年10月10日の朝鮮労働党創建75周年の軍事パレードで、いままでより一回り大きいICBMを行進させています。北朝鮮としては、アメリカの主要都市を射程に収める1万2千キロまで飛ぶミサイルはすでに完成したことを誇示しています。人工衛星をつけた3段ロケットの飛翔データを検討すれば、ICBMの技術は習得していると思います。もっとも弾頭を大気圏に再突入させ目標に命中させる技術はまだ見せていませんが。

佐藤 大気圏外に出したミサイルを大気圏に再突入させる実験ですね。

武貞 弾道ミサイルの弾頭を目標物に当てる実験はしていません。そのあたりはわからないこともあります。ただ核兵器は、被害にあったのは日本だけで、撃たない限り本物かどうかわからないという性格の兵器です。核実験を終え3段式ロケットが完成していますから、相当の技術を持ってすでに配備をしている、と見ておく必要があります。

東京五輪に北朝鮮を呼ぶ

佐藤 原点に立ち戻って考えると、脅威とは意思と能力の掛け算です。能力をつけてきたらそれを物理的に叩き潰すか、あるいは攻撃の意思をなくさせるか、のどちらかになる。アメリカは日本を破壊する核兵器を持っていますが、脅威でないのは、アメリカにその意思がないからです。

武貞 バイデン政権で国務長官に任命されたアントニー・ブリンケン氏は、かつてニューヨーク・タイムズで、北朝鮮の核兵器は核放棄に重きをおいて進展しなかったから、インセンティブとしての経済支援をしながら一つずつ核を潰していく核管理の方向で行くべきだと主張していました。だからアメリカはそちらにシフトしていく可能性はあります。アメリカの民主党系の専門家には、CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)よりも、核の管理、アームズ・コントロール(軍備管理)に重きを置く人たちが多い。返り血覚悟で撃つことはしない立場です。

佐藤 北朝鮮としては、核開発を凍結して大陸間弾道ミサイルも破棄する話はトランプ政権とのものです。だからバイデン政権ともう一回仕切り直そうと考えるでしょうね。

武貞 興味深いのは、労働党大会で「並進」という言葉を使っていることです。経済建設と核戦力強化の両方をやっていくという意味です。経済を重視する一方、バイデン大統領が強く出てくるなら自分たちも強く出る、しかし善意でくるなら自分たちも善意をもって接するとまで金正恩総書記が言っている。実はバイデン大統領に秋波を送っているわけですが、世界のどこを見渡しても、そう解釈したところはないですね。

佐藤 北朝鮮が変わろうとしているなら、日本にとってもチャンスかもしれない。

武貞 北朝鮮では、平壌科学技術大学の卒業生を欧州の大学に留学させるなど、世界の考え方に通じた人材を育成しようとしています。そして彼らを通じて経済テコ入れのノウハウを注入しようとしている。これを無視し続けたら、国際社会にとってもマイナスだと思います。

佐藤 私は外務省時代から言っていますが、日本はまず連絡事務所を作ったらいいんですよ。

武貞 私も同じ考えです。イギリスやドイツは平壌の同じビルの中に大使館を置いています。イギリスはアメリカと並んで、世界で一番人権問題に厳しい国です。そこが大使館を置いている。アメリカと韓国は、朝鮮戦争の当事者ですから置くわけにはいきません。日本は掃海艇を送るなどしましたが、公式には朝鮮戦争の参戦国ではない。日本はアメリカとも中国とも意思疎通ができますし、金日成主席が「渥美清のフーテンの寅さんの映画が大好きだ」と言ったように金ファミリーは日本文化への関心が高い。だから日本には好条件が揃っているんです。

佐藤 一つの打開策はオリンピックでしょうね。北朝鮮選手団の受け入れです。その際、金与正第1副部長を団長か顧問として迎え入れる。そこで関係を作る。北朝鮮を国と認めていない状況下の平壌宣言は国家間合意ではありません。つまり金正日総書記と小泉純一郎氏との合意なので、新たに金正恩総書記と菅首相で合意を作り直すというフレームが考えられます。

武貞 菅政権は、制裁解除の前提条件に拉致問題の解決を置く発言が多いですから、なかなか難しいことではあります。

佐藤 もう一つはコロナワクチンの国際的な調達・分配の枠組みであるCОVAXです。この組織によるワクチン供給対象国に北朝鮮が含まれている。日本はワクチンを買いつけすぎて、2千万人分以上が余ります。それをダイレクトに北朝鮮に回すと国内の反発が大きいでしょうから、CОVAXを通じて回すんです。

武貞 それはいいかもしれませんね。北朝鮮ではいままでに3万3千人くらいが感染の疑いで隔離され、いまも700人くらいが隔離中だと言われています。ワクチンをひとつのきっかけにするのは非常に有意義だと思います。

佐藤 北朝鮮に関しては、極度に異常な国と見るがために、分析の目が曇ったり、適切な対処ができないことが数多くあります。その中にあって、本日はとても実情に即したお話でした。

武貞 日朝関係において、膠着状態を打開するチャンスはこの2021年にあると思います。何でも問答無用でダメというのではなく、さまざまな方策を考えていくべきです。

武貞秀士(たけさだひでし) 拓殖大学大学院客員教授
1949年兵庫県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。同大学院博士課程単位取得退学。防衛庁防衛研修所に入所し、36年間勤務。その間、韓国・延世大学に留学し、米国スタンフォード大学、ジョージ・ワシントン大学では客員研究員を務める。2011年退官。同年より延世大学で日本人初の専任教授に。14年拓殖大学に移り、19年4月より現職。

週刊新潮 2021年2月11日号掲載

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