ハンク・アーロン、王貞治との本塁打競争(1974年)を振り返る、銀座で購入したモノは?

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勝者はどちら?

 1974(昭和49)年11月2日、朝日新聞の朝刊は「負けるためには来ぬ きょう王と本塁打競争」という記事を掲載した。(以下の記事は敬称略、引用はデイリー新潮の表記法で統一した)

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 当時はMLB歴代1位のホームラン王だった、ハンク・アーロン(1934~2021)が来日を果たしたのだ。一部を引用させていただく。

《あのハンク・アーロン選手が1日夜、日本へやってきた。今季、故ベーブ・ルースの持つ米大リーグの通算本塁打記録、714本を大幅に更新し、733本ものホームランをかっ飛ばしたアトランタ・ブレーブス、いや、大リーグの強打者である》

 ちなみに、ソフトバンクの球団会長を務める王貞治(80)は当時、634本塁打を記録していた。アメリカの大手放送局が、アーロンと王のホームラン競争を企画、それが実現したのだ。

 アーロンは東京の羽田空港に到着した際、《「なにしろ、17時間余も飛行機に乗ってきたんだ。頭がクラクラする」》と発言したという。

 宿泊先はホテルオークラ。王と記者会見に臨んだ。記者からは、ルースの記録を破る際の気持ちについて質問が出たようだ。

《「自分自身にもルースの記録を破る前にはいろいろとプレッシャーがかかった。でもタイになり、1本リードした時点で精神的に楽になった」》

 アーロンのこんな回答が、記事には残されている。

「投げる方が緊張」

 後楽園球場(現・東京ドーム)で行われたホームラン競争の様子は、3日の朝日新聞・朝刊に掲載された囲みコラム「さわやか男の争い ヘイ越えがすべて 浮世の混とん忘れ観衆わく 王“夢の対決”アーロン」に詳しい。

《ハンク・アーロン、40歳の黒人。ベーブ・ルースの生涯ホームラン記録714本を破った男。王貞治、34歳。ご存知の左打ち一本足打法の連続2年三冠王。米国の放送局がスポンサーになって、夢の対決が実現した》

《5打ずつ4回打つ。王の先行。投、捕手、主審、それに外野手1人だけが位置につく。巨人軍のバッティング投手峰が投げる。歓声と落胆の声とがこもごもにわく。稲田のように人が揺れる》

《アーロンには、来日中のメッツ球団のコーチが投げる。こちらはひどく遅いタマ。ボールが続く。どちらもご本人より投げる方が硬くなっている》

 結果はハンク・アーロンが10本、王が9本だった。対決が終わると、2人は《がっちり握手した》とある。

《アーロンがバックネットに近寄ると黒人公民権運動の支持者でもあるビリー夫人が小型カメラでパチリ。年俸20万ドル(約6000万円)のアーロンがウインクしながらいう。「これでもっと高いカメラを買ってやれるよ」。スポンサーからの賞金は勝敗に関係なく王に2万ドル(約600万円)、アーロンに5万ドル(約1500万円)》

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