車両の“顔”を形作る「連結器」が、鉄道によって違うのはなぜ?

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日本初の鉄道には「ねじ連結器」

 狭い日本でなぜ連結器は統一されていないのであろうか。

 それは国内での連結器の発展の仕方と関係が深い。

 実は明治初期に開業した日本初の鉄道では、いま挙げた連結器が3種類とも採用されなかった。

 取り付けられていたのは「ねじ連結器」だ。

 これは車両の端に設けられたフックにリンクを引っかけて固定するというとても原始的な連結器で、いまでもヨーロッパを中心に用いられている。

 ねじ連結器は連結の際に係員がリンクを引っかけなければならないので、リンクの強度を上げて重くすると扱えなくなってしまう。

 このため、連結器自体の強度が低く、多数の車両を連結するのは難しい。

 それに連結や切り離しの際に係員が車両と車両との間に立ち入らなくてはならず、車両と接触してケガをしたり亡くなったりする事故が後を絶たなかった。

 いまのJRの前身である鉄道省はこうした状況を憂慮し、1925(大正14)年7月に一斉に連結器の取り替えを行った。

 対象となった車両の数は当時在籍していた約7万3000両のほぼすべてで、2018(平成30)年3月31日現在で在籍している全国の車両数の6万4557両よりも多い。

 特に1925年7月17日には全国の貨物列車をすべて止め、1日で4万1661両もの貨車の連結器を交換してしまった。

 これだけの両数の車両の連結器を一斉に取り替えた国はほかに存在しない。

 さて、1925年7月にねじ連結器から切り換えられた連結器は「自動連結器」である。

 自動連結器は強度が高く、連結の際に係員が車両と車両との間に立ち入る必要もない優れた連結器であったが、欠点もあった。

 先に紹介したとおりすき間があるので、旅客が乗る車両に用いると乗り心地が悪くなってしまうのだ。

 それに急カーブでは、ナックルをロックしていても連結器が外れる事故が起きてしまう。

 自動連結器の欠点に気がついていた一部の私鉄は、ねじ連結器からの一斉交換に前後して「密着連結器」を導入した。

 鉄道省も電車の連結器は密着連結器がよいと考え、1935(昭和10)年6月から取り替えを始めてほどなく完了している。

出そろった3種類

 せっかくなので電車以外の機関車や客車、貨車、ディーゼルカーの連結器も密着連結器に替えてしまえばよいように考えられるが、そうはいかなかった。

 交換に手間がかかるのに加え、密着連結器のほうが前後に引っ張る力に耐える能力が低いので、機関車が客車や貨車を何両も連ねて走らせるには適していないのだ。

 それに、自動連結器の大きな欠点に見えるすき間も、重い貨車を機関車が引き出すときには役に立つ。

 すき間のおかげで機関車は一度に大きな力を負担しないで済み、特に出力の低い蒸気機関車ではありがたい。

 また、当時は少数派のディーゼルカーは機関車に引かれる機会も多く、密着連結器に替えてしまうと扱いにくかった。

 こうしてまず、自動連結器と密着連結器との2種類が誕生したのである。

 戦後になると、ディーゼルカーの乗り心地の悪さが問題となった。

 そこで自動連結器とも連結でき、すき間をなくした「密着式自動連結器」が開発される。

 大手私鉄で自動連結器を装着した電車も1950年代以降、密着式自動連結器に取り替えられていく。

 こうしていま見られる3種類の連結器が出そろった。

 となると、密着連結器も密着式自動連結器に交換すればすっきりするのだが、鉄道省後の組織でJRの前身の国鉄は検討すらしていない。

 例によって大量の電車の連結器を交換するのは莫大な手間を要してしまう。

 それに密着連結器はブレーキ用の空気管を内蔵していて、連結と同時に空気管の接続も完了するという密着式自動連結器にはないメリットもあるからだ。

 頻繁に連結と切り離しとを行う電車では、空気管も自動的に接続される密着連結器の長所は誠にありがたい。

 密着式自動連結器を採用した大手私鉄や地下鉄では、密着式自動連結器から密着連結器へと取り替えた電車も存在するほどだ。

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