ヒトラーの後を追う文在寅 流行の「選挙を経た独裁」の典型に

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「憲政の常道」の芽を摘む

 第5章「民主主義のガードレール」は、民主主義を維持するには制度だけでなく、運用面も重要だと訴えています。ここを読んでも「韓国の今」に思い至ります。132ページから引用します。

・民主主義には明文化されたルール(憲法)があるし、審判(裁判所)もいる。しかし、それらがもっともうまく機能し、もっとも長く生き残るのは、明文化された憲法が独自の不文律によって強く支えられている国だ。
・このようなルールや規範は民主主義の柔らかいガードレールとして役に立ち、政治の世界の日々の競争が無秩序な対立になり果てることを防いでくれる。

「柔らかいガードレール」とは、日本語で言えば広い意味での「憲政の常道」でしょう。1987年の民主化当時の韓国に在勤しましたが、この言葉をしばしば思い出したものです。

 民主化後に韓国の政界が困惑したのは、与野党間でなかなか調整がつかず、妥協を図れないことでした。それまでは強権的な政権が仕切っていましたから、調整という発想自体がなかった。

 いくら民主化したといっても法律にすべてのルールが明記されているわけではない。そこで韓国の政界は調整を円滑に行うための不文律を手探りで作っていったのです。

 例えば国会の常任委員会の委員長ポストをどう配分するか、です。民主化以前は多数党――与党が独占していた。与党が採決に踏み切れば法案はすべて通りました。

 でも、それでは少数意見がまったく反映されません。そこで日本の国会などを参考にして、議席に応じて野党にも委員長ポストを配分しました。1990年代初めのことです。

 野党は委員会の段階で法案成立にある程度の歯止めをかけることが可能になりました。先ほど引用した「政治の世界の日々の競争が無秩序な対立になり果てることを防いでくれる」好例です。

指揮権を3回発動して政権防衛

――韓国にも「憲政の常道」が根付き始めた……。

鈴置:と、私も思ったものです。しかし、30年後の2020年、「憲政の常道」はものの見事に破壊されました。国会議員選挙で6割近い議席を得た与党、「共に民主党」は委員長ポストを独占しました。国会運営は与党の思うがままになりました。

 同じ年に秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官は指揮権を3回、発動しました。私募債発行に絡む政界・官界工作事件など、政権のスキャンダルに発展しそうな案件の捜査を直接指揮しないよう、尹錫悦総長に指示したのです。

 民主化前は検事総長は青瓦台の意のままに動くのが当たり前でしたから、そもそも「指揮権」という概念がなかった。民主化後は「指揮権は存在するが簡単に発動すべきではない」との不文律らしきものが生まれていた。日本のそれを見習った部分もあったと思います。

 1954年、日本の犬養健法相が造船疑獄に絡んで指揮権を発動。これには与党、自由党内にも「三権分立の破壊」との批判があり、法相は直ちに辞任しました。この後、日本には「指揮権発動には内閣を潰す覚悟が要る」との認識が定着しました。

 秋美愛法相も辞意を表明したと報じられましたが、指揮権発動の責任をとったわけではありません。検事総長を辞めさせるため「喧嘩両成敗」の形を整えるのが狙いと見なされています。ここでも韓国は芽生えかけていた「憲政の常道」の芽を潰したのです。

「李朝を滅ぼした党争」再び

――韓国はなぜ、日本と異なる道を歩き始めたのでしょうか。

鈴置:激しい党派対立からです。歴代大統領は必ず「不幸な引退後」を余儀なくされます。国を追われるか、暗殺されるか、監獄に送られるか、子供が収監されるか、検察に取り調べられて自殺するか――。名目的な大統領は除けば、すべての人が悲惨な目に逢いました。

 韓国の政争は生きるか死ぬかの戦いです。自分が生き残るには三権分立も憲政の常道も踏みにじるほかない。すると、歯止めが効かなくなった争いは、ますます激烈になる――。民主化の後、安定した国になるかに見えましたが結局、この悪循環に陥りました。

 保守は公捜処を厳しく批判します。左派と比べ、三権分立を尊重しているように映る。では、もし政権を取り戻したら公捜処を廃止するのでしょうか。

 韓国人に聞くと、ほとんどの人の答えが「NO!」です。左派だろうが保守だろうが、検事や裁判官を制御できる装置をいったん手にすれば、手放すわけがないというのです。

 最後は国を滅ぼした、李朝の指導層の止め処も無い派閥争い――党争とは、きっと、こういうものだったのだな、と思うばかりです。

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