菅野智之、メジャー行きならず、来年以降は難しい理由【柴田勲のセブンアイズ】

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 皆さん、少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年も今コラムをよろしくお願いいたします。

 さて、ポスティングシステム(入札制度)でのメジャー移籍を目指していた巨人・菅野智之投手(31)の残留が決定した。米球界との交渉期限は7日午後5時(日本時間8日午前7時)だったが、ギリギリまで考えて決断したという。

 私、菅野のメジャー挑戦、最終的にこうなるのではと予測していた。というのも、昨年のメジャーは公式戦60試合で特別なシーズンを乗り切ったものの、2021年がどうなるか、現時点では不透明だ。

 アメリカはコロナ禍が拡大、依然として深刻な状況にある。現時点で開幕がいつになるのか、試合数も果たして162試合実施できるのか。見通しは立っていない。メジャーも昨年のコロナ禍によって、資金面などでかなりきついと聞く。

 移籍先としてメッツ、ジャイアンツ、ブルージェイズ、さらにレッドソックスなどが候補に挙がっていたが、次々と撤退、要は菅野サイドの希望する条件と折り合いがつかなかったのだろう。

 もっとも巨人は菅野の残留に備えて4年総額30億円の複数年契約を準備していたという。この金額には驚いた。昨年の年俸が6億5千万円だったから、1億円のアップで、しかも複数年である。たとえば8勝でも1勝分が1億円近い。

 余談になるが、私の最高年俸は巨人で20年やって1800万円だった。V9時代は優勝が当たり前になって、優勝だけでは年俸が上がらず、プラス個人成績で締め付けられた。

 あれは1968年(昭和43年)、王(貞治)さん、長嶋(茂雄)さんに次ぐ5番打者として右打ちに専念し本塁打26本、打点86をマークしたのに、打率が2割5分8厘と低すぎるからという理由で現状維持を提示された。V4の年だった。

 川上(哲治)さんからは、「金のことでもめるな。後からついてくる」と普段から言われていた。それにしてもひどいと思った。泣く泣く現状維持を飲んだ。

 確かに我々の時代は金だけではなかったのも事実だ。巨人でプレーできる、好きな野球ができるというのが根底にあった。

 話を元に戻すが、いまは少しでも活躍すれば年俸が上がる。3千万、4千万なんてすぐだ。それにビジネスが優先の時代でもある。隔世の感がある。

 さらに巨人は菅野に4年契約で今後3年間は毎年「オプトアウト」(契約見直し)できる条項も提示していたという。3年間は契約を破棄できるもので、残留しても今季終了後にメジャー再挑戦が可能になる。巨人の最大限の配慮だろう。

 こんな「拠り所」があったから菅野サイドは交渉で強気に出たのではないか。2年連続で4タテにされたソフトバンクに雪辱したい。こう考えれば最初からポスティングシステムの申請はしていないだろう。長年の夢だったメジャーへの憧れとともに、最高峰の舞台に立ちたい。自分がどれだけの評価を受けるか。こんな期待もあったと思う。

 だけど推測の域を出ないが、おそらくメジャーサイドの金額提示が巨人よりも低かったか、思ったほどの評価ではなかったのだろう。それに諸条件に納得がいかなかったのかもしれない。

 現在はコロナ禍が深刻化の一途をたどり、メジャーを取り巻く環境を考慮したことも残留という結論に至る大きな要因になったと思う。

 今オフ以降、菅野のメジャー挑戦の扉は開かれたままになるが、よほど頑張らないと厳しいと思う。昨季は開幕から13連勝でNPB新記録を樹立、14勝を挙げて最多勝、最高勝率の2冠でリーグ連覇に貢献した。

 メジャー挑戦にお膳立てが整っていた。今年は32歳になるが、メジャーは年齢を気にする。全盛期を26歳から30歳までと認識する傾向がある。

 腰痛などを抱えているが、これまで以上の成績が求められる。最低15勝、いや一度も達成していない20勝を視野に入れてもいい。いずれにせよ、世界的なコロナ禍の中、メジャー挑戦はタイミングが悪かった。でも、考えようによっては後になってタイミングが良かったと振り返る時が来るかもしれない。

 一度、今コラムで記したが、「生涯巨人」も悪くはない。巨人は生え抜きで一筋の選手を大切にする。菅野が望むか望まないかは別として将来の幹部候補生として育てられるのは間違いない。

 最後になるが、巨人OBとして菅野が残留してよかったと思う。リーグ3連覇への大きな原動力になるのは確実である。

 菅野、いつまでも引きずらず、気持ちを切り換えて2021年のシーズンに向けて、頑張ってほしい。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

週刊新潮WEB取材班編集

2021年1月9日掲載

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