「身体障害者手帳」で日本の制度のありがたさを知る──在宅で妻を介護するということ(第16回)

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障害者支援、もらえるものは全部いただく

 身障者手帳の書留には、「各種支援のお知らせ」という1枚のペラが同封されていた。そこには、手帳所持者に対し千葉市が提供する各種支援や助成制度が、箇条書きにリストアップされていた。

 ソーシャルワーカーが言った“優遇や助成”とはこのことか──。

「身障者手帳の(再)交付により、あなたはこんな支援の対象になると思われます」の文言に続き、次の5項目が記されていた。

(1)福祉タクシー利用券・自動車燃料費助成(1・2級の方)
(2)心身障害者(児)医療費(一部負担金)助成(1・2級、内部障害3級の方)
(3)千葉県後期高齢者医療(未加入の65歳以上で1~3級、4級の一部の方)
(4)ストマ装具費助成(ストマ増設のぼうこう、又は直腸機能障害の方)
(5)各種手当(在宅の方のみ。施設入所中、入院中の方は対象外)

 私は、原稿は遅いのに請求書を書くのだけはやたらと速い。一字一句漏らすまいと読んだ私は、仕事もそっちのけでこれらの問い合わせや申請手続きに没頭した。

 ライターという職業上、この種の調べ事は慣れてはいるが、この1枚のペラがなかったらかなり骨が折れるし、たぶん見落としもあるだろう。慣れない人の場合なおさらだと思う。役所(緑保健福祉センター高齢障害支援課)のファインプレーであり、「本気で支援しよう」という気持ちが伝わってきてうれしかった。

 いうまでもなく、これらの助成の原資は血税である。しばしば税金の滞納督促を受けている身としては、身障者だから当然と受け取る気にはなれなかった。しかし、いただく資格があり、お上が下さるというものを拒む理由はどこにもない。

 もらえるものは全部いただこう。本業は細る一方だし、老骨に鞭打ってバイト中の身としては、喉から手が出るほど欲しい。恥も外聞もない、この機会を逃がしてなるものかと思ったのである。

 他にもこの種の優遇措置はないものかと、千葉市の「障害者福祉のあんない」を入手。自分なりに調べた結果、この他に前述した「おむつ給付」と、国からの「障害年金」をもらえる可能性があることを知った。

 これで毎月の介護事業者への支払い(約5万円)をカバーできるかもしれない。もしかしたらバイトを辞められるかもと思うと、社会保険事務所や区役所への問い合わせや煩雑な書類作成も、さして苦にならなかった。

医療費・クスリ代がタダになった

 1カ月間奔走した結果は、自分が想定していたよりはるかに実り多いものであった。

 まず、医療費とクスリ代がタダになった。これは、(2)の「心身障害者(児)医療費(一部負担金)助成」によるもの。それまで毎月2万5千円前後支払っており、今後もずっと続いていくものなので本当にありがたい。背中の荷物の半分を下ろしたような気分になった。

「障害年金」がおりるのではと期待していたが、妻の年金保険料(国民年金)の納付期間が足りず、支給対象とはならなかった。しかし、思いもよらぬ手当が千葉市から支給されることになった。

(5)の「各種手当」である。重度の障害が重複し日常生活において常時特別の介護を要する者に支給される「特別障害者手当」がもらえるという。

 これが毎月2万7200円。最初その額を聞いたときは1桁違うのではないかと耳を疑った。3カ月に1回口座に振り込まれるのだが、初回の5月、通帳を確認するまではにわかに信じられなかった。医療費タダもありがたいが、この現物支給は使途フリーなわけで、もう飛び上がりたいほどうれしかった。

 正直、ここまで手厚い支援が受けられるとは思わなかった。結果的に、実質6万円ほどの介護出費を抑えられたのである。ちなみに、特別障害者手当がもらえるのは「在宅」のみで、施設入所中や入院中の人は対象外だ。身障者になったことで改めて「在宅」の利点を再確認することができた。

 おむつ給付は申請した翌日に許可が出た。女房の場合、月に「テープ止めのおむつ」約30枚、インナーの「尿取りパッド」約90枚を消費する。合計6千円のところ、自己負担1割の600円で購入できるようになった。

 身障者の優遇は他にもある。手帳を見せればJR乗車券が半額に、タクシー料金は1割引、有料道路通行料は半額になる。支局に申請することでNHK放送受信料の免除も可能だ。女房が車いすで外出できるようになったら遠慮なく使わせてもらおうと思う。

 このように身障者1級の認定を得られたことで、経済的不安は大幅に緩和された。バイトを辞めてもいい環境となった。誤解を招く言い方になるが、ウチの場合、身体的に重度の障害が残ったことで逆に救われた部分も大きかった。

 2月~4月、こうして私が上記の手続きを進めている間、家内の体調に大きな異変はなく、ゆっくりとだが確実に快方に向かっていった。車いすからベッドに戻したとき、吐くことも少なくなった。

 よし、これでやっとデイサービスに連れて行けると思ったとき、誰も予測できなかった問題が起きた。コロナである。当時はここまで長期化するとは考えられなかったが、施設に始まりやがて「在宅」にもその暗い影は伸びていったのである。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2021年1月7日掲載

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