「オウム平田信」と共に逃亡を続けた「美人信者」 彼女を雇用し続けた「整骨院院長」の告白

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偽名だと気付く者はなかった

 2011年の大晦日に警視庁に出頭したオウム真理教の平田信(46)。その傍には共に逃走を続ける元美人信者の姿があった。彼女の素性を知らぬまま、10年以上のあいだ雇用した整骨院院長が間近で見続けた素顔とは。

(※「週刊新潮」2012年1月23日号に掲載された内容に編集を加えています。年齢や肩書などは当時のママです)

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 大阪の中心部から車で30分ほど。大阪市と東大阪市の境目に位置するJR放出(はなてん)駅と高井田中央駅に挟まれた半径わずか1km程度の地域で、平田信と木村聡子(仮名)は約17年にも及んだ逃亡・潜伏生活の大部分を過ごした。

 2人が息を潜めるようにして暮らしたそんな狭い生活圏を斜めに貫く形に、長瀬川と名づけられた農業用水路が流れている。

 出頭前、約7年の間住んでいた9階建ての瀟洒なマンションは、高井田中央駅前にある。

 部屋は8階にあり、約30平方メートルの1DK。木村は働きに出、平田は部屋に籠ってインターネットやテレビを見て過ごしていたというが、東側にあるベランダに出れば、目の前を流れる長瀬川の流れが見えたはずだ。

 また、放出駅方面へと続く長瀬川沿いの道は、木村の通勤路でもあった。

 道沿いには一軒家、古びたアパート、畑。墓地があり、小学校がある。

 木村が日々、自転車を駆って通ったであろうそんな道の先には、「放出南商店街」。商店や一軒家が密集するその一角に、平田の潜伏生活を支えながら木村が10年以上に亘って勤めた整骨院はある。

 木村はそこで「吉川祥子」の名前で働き、周囲にそれがよもや偽名だと気付く者はなかった。

「吉川さんから、“仕事を辞めさせてもらいたい”と電話があったのは年明け、1月4日のことでした」

 整骨院の院長が振り返る。

「お父さんの体調が悪くて一度、群馬の実家に帰ったんだけれど、思わしくない。だから側にいてあげたい、という理由でしたので、強く引き止めることは出来ませんでした」

彼女がついた最後の嘘

 それは、周囲を欺いて生活を続けてきた木村がついた最後の嘘だった。

 平田の出頭を受け、木村はそれまでの生活に区切りをつけてから弁護士に相談するつもりでいたという。

 しかし、そんな本人の想定をよそに、事態は急速度で展開していった。

 当初、平田は 潜伏生活について固く口を閉ざしていたが、警視庁は出頭時や新大阪駅などでの 映像を公開。

 包囲網が徐々に狭まる中、1月7日に平田は接見した滝本太郎弁護士に木村の電話番号とマンションの住所を告げたのだ。

 滝本弁護士が吹き込んだ留守番電話を聞き、木村が電話をしてきたのは翌8日の午後3時だった。

「悩んでいる様子でしたので、“帰っておいで”と言い、10日までに迎えに行く約束をしました」

 と、滝本弁護士。

「9日午前中に平田と面会し、そのまま車で東大阪市に向かい、着いたのは夕方。それから9時間かけて帰ってきたのですが、パーキングエリアで休んだ時に彼女とうどんを食べました」

 滝本弁護士に伴われて木村が大崎署に出頭したのは10日午前3時頃。

 ほどなくして木村は犯人蔵匿容疑で逮捕された。

 だが、木村の出頭が報じられても、整骨院院長の頭の中では、それが「吉川祥子」と一致することはなかった。

「だから、10日の朝も普通に整骨院を開けた。そうしたら警察から電話があり、すぐに事情聴取に応じて欲しい、と言うので慌てて閉めたのです」

 と、院長は言う。

「あの吉川さんが逮捕されたと聞いて、本当にビックリしました。名前も全部、あのままだと思っていましたのでね。まさか詐称なんてするタイプには見えなかった。でも、騙されたという感情はありません。4日に辞めると電話があって、無理せんでいいよと私は言ったんですが、6日まで来て仕事をしてくれました」

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