「オウム平田信」と共に逃亡を続けた「美人信者」 彼女を雇用し続けた「整骨院院長」の告白

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意外な一面

 だがその一方で、院長は木村についてこうも評する。

「印象的なところがないというのが特徴でした」

 整骨院の患者や近隣住民も同様の感想を抱いている。

 が、彼女は極めて意識的に、「人々の記憶に残る」ことを避けていたのだろう。

 麻婆豆腐やカレーを作るなど、時に家事を手伝い、自宅で木村の帰りを待つ男。世間の数多の目から逃れて自宅に籠り、夜になれば、一緒に一つの布団に包まって寝る男。

 その存在を絶対に悟られてはならない。平田を匿う自分の痕跡も出来る限り少ないほうがいい……。

「格好は大抵、ジーパンにシャツとか地味なカーディガン。私生活の話は“いろいろありまして”といった感じだったので私もあえて避けるようにしていました。例年、忘年会には参加するけど薄い梅酒やウーロン茶しか飲まない。スタッフの結婚式に出たこともあるけれど、あまり印象がない。綺麗な人でしたが、とっつきにくい感じだったので言い寄る男性もいなかったと思いますよ」(同)

 が、10年以上の長期に及んだ大阪での生活。人々の記憶に全く痕跡を残さないのは不可能だったようで、

「彼女は格闘技が好きで、角田信朗や所英男のファンだと言っていました。“DEEP”という団体の試合を観に行ったこともあると言っていました」

 と、患者の1人は意外な一面を明かすし、近所の弁当店の店員は、唐コロ(唐揚げコロッケ)弁当とノリ弁当など、明らかに「2人分」の弁当を毎回購入していく彼女の姿を記憶に留めている。

2台の自転車を連ねて自宅から

「お昼代は領収書をいただくのですが、弁当屋で700円ほど毎回かかっていたので、デラックス弁当でも食べているのかと思っていました。まさか平田さんに持って帰っているとは、思いもしませんでした」(整骨院院長)

 昨年11月末には急にレンタルビデオ店の会員になり、「24」や「LOST」などシリーズものの海外ドラマをまとめて借りた。

 同時期、新しい自転車も購入し、例年参加していた整骨院の忘年会には姿を見せず、迎えた大晦日の午後。

 2台の自転車を連ねて自宅から7km離れた地下鉄本町駅まで行き、東京に向かう平田を見送り、17年に及んだ「逃避行」は終幕を迎えたのだ。

 ちなみに行きに自分が使った古い自転車は駅に乗り捨て、自宅までは新しい自転車に乗って帰ったという。

 法曹関係者によれば木村は、犯人蔵匿罪のみでの公判なら懲役2年執行猶予3年程度の判決が見込まれる。が、

「木村の出頭で今回の件が全面解決したわけでは決してありません」

 と、警視庁関係者。

「木村が出頭したのに、平田は未だに、“人に迷惑がかかる”と潜伏生活の詳細を語らない。2人が潜伏していたJR放出駅の周辺には、彼らが大阪に来る頃まで、オウム信者が出入りする小規模アジトがあったことも分かっている。木村の他に平田の逃亡に手を貸した人物がいなかったかどうか、さらなる捜査が必要です」

 その“さらなる捜査”の結果、オウム逃走犯が相次いで逮捕されることになる。

週刊新潮WEB取材班

2020年12月31日掲載

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