立大生殺人事件が容疑者不詳で書類送検 父親が語る“警察不信”と“犯人への感情”

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犯人とおぼしき人物と遭遇

 実は、事件から2カ月後、小林さんは北千住駅で犯人と似た人物に遭遇している。

「6月の終り頃でした。男は公衆電話で話をして、馬鹿野郎とかうるせえと乱暴な口調だったこともあり、犯人に違いないと確信しました。北千住から常磐線に乗ったので、切符も買わずに尾行すると、柏で降りました。改札を出ると、ビールを買ってまた構内へ戻ってきた。正面から男の顔を見ると、右目の目尻に窪みのような傷跡がありました」

 ところが、小林さんは思わず一瞬ひるんでしまう。男は常磐線の各駅停車に乗り換えたが、雑踏の中で見失ってしまった。

「柏で各駅停車に乗り換えたということは、次の北柏で降りた可能性が高い。そこで早めの夏休みを取って10日間、北柏駅で始発から終電まで、立って張り込みをしました。しかし、成果がありませんでした。あの時取り逃がしたことが悔まれます」

 小林さんは、犯人逮捕のため、96年の年末に懸賞金200万円を出すことに決めた。さらに、悟さんの26歳の誕生日にあたる2000年5月4日に懸賞金を1000万円にひきあげたが、有力な情報は得られなかったという。

「54歳で三井住友銀行を早期退職し、3万5000人の署名を集め、時効や量刑の改善を求める嘆願書を法務大臣に、また、救急車の搬送について、患者の病状を確認して、それに対応できる病院へ搬送するよう厚生労働大臣へ嘆願書を提出しました。結果、殺人罪の時効が撤廃され、救急車の搬送も改善されました」

 当初、犯罪容疑は傷害致死罪だったが、その時効が切れる直前の2003年3月に殺人罪に切り替わった。

「息子を突き倒したことが、殺人と認められたのです。これでやっと溜飲が下がりました。犯人は一生、殺人という罪を背負わなければならないからです」

 毎年、事件のあった4月11日には捜査員が小林家を訪れ、捜査の報告をするのが慣例になっていた。

「昨年の4月11日、池袋署の刑事がお見えになった時、『もう、そろそろ捜査を打ち切りましょう』とお願いしました」

 その要望が、容疑者不詳のままの書類送検につながった。

 最後に、犯人について、今どう思っているか。

「息子が殺され、最初の3年間は毎日涙が止まりませんでした。電車の中で涙を流すこともありました。でも今は、犯人に対して恨みはありません。恨みを捨てないと、前には進めません。人にもやさしくもなれません。心身ともに元気でないと、息子の供養ができないということにも気付きました」

週刊新潮WEB取材班

2020年12月15日掲載

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