立大生殺人事件が容疑者不詳で書類送検 父親が語る“警察不信”と“犯人への感情”

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 1996年4月11日、立教大学4年の小林悟さん(当時21)が、JR池袋駅ホームで男と口論になり、暴行を受けて亡くなった。この事件で、警視庁は12月11日、容疑者不詳のまま書類送検した。「捜査を打ち切ってほしい」という遺族の要望をきいた形だが、異例の対応と言える。被害者の父親に、改めて事件について語ってもらった。

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「捜査が終了したので12月8日、警察から息子の遺留品を返してもらいました。洋服が3点と靴、就職ガイダンスの教材、それに切符の計6点でした」

 と語るのは、父親の小林邦三郎さん(75)。

「警察は、事件が起きた時刻を23時10分と言っていました。ところが、切符を見ると、23時32分と刻まれています。20分以上ものズレがあります。これは、初動捜査をないがしろにしたということではないでしょうか」

 今一度、事件当日について聞こう。

「息子は男に胸ぐらを掴まれ、身動きが取れないでいた時、後ろから声をかけられて振り向いたのです。そこへ男が息子の顎に平手打ちを食らわせ、一瞬気を失いました。男は胸ぐらを掴んだ手を突き放したため、息子は仰向けにホームに倒れ込み、後頭部をホームの黄色いブロックに打ち付けました」

早い措置をしていれば助かった

 昏睡状態となった悟さんは、救急車で近くの池袋病院へ運ばれた。

「深夜に警察から電話がありました。息子さんは大丈夫とは思いますが、念のためお越しくださいと。警察は当初、事件を重く見ていなかったように感じました。病院に着いたのは12日午前3時。息子は鎮痛剤を飲まされ意識はありました」

 ところが1時間後、足が痙攣を起こし始めた。すぐ看護婦を呼んだが、

「この病院では処置できないというのです。他の病院へ転院することになりましたが、病院を探すのに時間がかかってしまい……。新宿の東京女子医大に着いたのは午前7時を回っていました。もっと早くに処置をしていれば、息子は助かったかもしれません。後頭部を打ったのだから、脳の専門医がいる病院に運べば、手術ができたかもしれない。今も息子に申し訳ない気持ちでいっぱいです」

 悟さんは、4日後の4月16日早朝に息を引き取った。

 犯人は、年齢が28~38歳、身長は178~180センチほど。肩幅が広くがっちりした体格で、瞼が重く、右目の目尻に穴状の古傷が3つあった。グレーの背広を着たサラリーマン風の男だった。

「平手で息子を失神させたわけですから、相撲かなにか、武道をやっていたのかもしれません。犯行の時の様子は、防犯ビデオに映っているはずですが、警察は確認できなかったと言うばかり。なにか隠しているじゃないか、犯人は大物の息子ではないかとか勘繰りたくなりますね」

 小林さんは、4月29日と5月1、2日の3日間、事件当夜と同じ時間帯に池袋駅の7、8番ホームを中心にビラを配布。情報提供を呼びかけた。

「ビラを配ることを警察に言ったら、最初反対されました。犯人が逃げてしまう。自殺するかもしれない、と言われました。犯人が逃げたら追えばいいわけだし、被害者のことは何も考えてくれないような感じでした。結局、ビラは20万枚、犯人の似顔絵が入ったポスターを大学や商店街に2000枚貼りました」

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