メジャーを目指す菅野智之に必要な球種、巨人一筋も悪くはない【柴田勲のセブンアイズ】

スポーツ 野球 2020年12月5日掲載

  • ブックマーク

巨人・菅野智之投手(31)米大リーグ球団への移籍に向けて「ポスティングシステム」の申請手続きを球団に申し入れたという。

巨人はポスティングシステムを認めてこなかったが、昨年オフに山口俊が初めてこの制度を利用してメジャー入りした。山口は2016年にDeNAからフリーエージェントで巨人に移籍したが、契約の際にポスティング移籍を容認する要綱が盛り込まれていた。

菅野は3、4年前からメジャーへの憧れを明かしていた。当時はあくまでも海外FA権の行使が前提だった。2021年のシーズン中にも取得するし、巨人にしても海外FA権の行使が基本的な姿勢だった。

だが、昨年の山口の件である。巨人にすれば菅野に許さないとは言えなくなった。山口に認めて、なぜオレはダメなのかとなる。

菅野は11年のドラフトで日本ハムに1位指名されたが1年待って巨人に入団した。その事情を考慮し、入団以来エースとして頑張った。今季も優勝へ大きく貢献した。

まあ、山口の件に加えて、これまでのご褒美として、「行かせてあげる」という言い方になるだろう。

叔父さんの原辰徳監督にとっても大きな痛手だ。絶対的なエースが抜ける。日本シリーズではソフトバンクに2年連続で4連敗を喫した。チーム立て直しは急務だ。

でも、そこは親子関係ではない。叔父さんと甥っ子は半分身内で半分他人のようなものだ。原も、「お前の好きなようにしなさい」と言って気持ちよく送り出すに違いない。

フォークがあれば…

米メディアでは早くもダルビッシュ有や田中将大投手らと比較するなどして大きな話題になっているという。

菅野、実力には折り紙付きだが、実際にはどうなるか。最大の長所は制球力だ。日本は中6日の先発が普通だけどメジャーじゃ中4日で100球がメドだ。制球力の良さで比較的長い回を投げられると思う。

一方で今季は交わす投球が目立った。球道が素直でパワーのある外人さんにどれだけ通用するか。日本でも連打や一発を浴びるケースが結構あった。

メジャーで成功した投手の例を見ると野茂英雄、佐々木一浩、上原浩治らにはフォークという武器があった。菅野はどちらかと言うとスライダー投手だ。とにかく外人さんはフォークに弱い。クルクル振り回す。威力のある真っすぐで追い込み、フォークでズバッと決める。菅野もフォークも持っているが成功に欠かせない球種ではないか。

いずれにせよ申請後は大リーグ球団との交渉に移るが、もちろん巨人残留もあり得る。世界的なコロナ禍でメジャーも来季の開催方法などが見通せない状況にある。不安な状況での生活にもなる。なによりも8年間在籍した巨人への愛情も大きいのではと察する。

本人の決断次第だが、私としては、「行かない方がいい」と思っている。これまで巨人を出て監督をやった人はいない。川上(哲治)さん、長嶋(茂雄)さん、藤田(元司)さん、王(貞治)さん、堀内(恒夫)と巨人一筋でやってきた。古くは水原(茂)さんもそうだ。松井(秀喜)だって臨時コーチはやったものの、監督要請の話はウワサにはなっても正式にはないと聞く。原の後をだれがやるかまだ分からないけど、私は松井の監督だけは今後ないと予測している。

残留すれば菅野の人望も上がるし、巨人は実績を買う。あと15年から20年後、「巨人一筋でよかった」と振り返る日が来るかもしれない。ただ現実的な話として菅野が今年メジャー行きを逃せば来年は32歳である。今年行かなければ、もう行かないだろう。

夢を追いかけるのか、それとも…。菅野がどんな結論を出すのか。今後に注目したい。

さて巨人だが、ゼラス・ウィーラー内野手の残留が決まった。山本泰寛内野手の金銭トレードでの阪神移籍も発表された。阪神は今季失策数が85で守備力強化が課題だ。特に二遊間の補強は急務で、阪神とのトレードは珍しいが、これも活躍の機会を与えたということだ。

巨人は若林(晃弘)、田中(俊太)、吉川(尚輝)らが力を付けてきたことも背景にあるのだろう。今季一軍出場はなかった山本は、内野全ポジションをこなせるし、これでもっとパワーがつけばレギュラー獲得も視野に入る。頑張ってほしい。

かと思えば、ロッテに移籍した澤村拓一投手が海外FA権を行使して、メジャー移籍を目指すという。ロッテに行って状況が大きく変わった。メジャーでも中継ぎ投手は何人でも必要とされるし、先発の経験があるからロングリリーフもいける。本人もここが勝負所と判断したのだろう。

なにより先に記したように澤村にはフォークという武器がある。大きな自信だ。菅野同様、澤村の去就も気になるところだ。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

週刊新潮WEB取材班編集