藤井聡太、最年少200勝も三冠は当面お預け、史上最年少記録の最難関は?

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難関は「最年少名人」

 今後、藤井が目指す中で最も難しいと思われる注目の「最年少記録」は名人位の奪還だろう。現在8つのタイトルがあるが、名人は単独で「最年少名人」とされることが多い。賞金そのものは4320万円の竜王が最も高い(名人の賞金は公表されていない防衛で3450万、挑戦者奪取で1600万円と見られる)が、「最年少竜王」とはあまり言われないことをみても、1935年からの伝統のある「名人」は別格とも言えよう。

 それまで多くのタイトルを取りながら、1982年の名人戦で中原誠十六世名人を破って42歳で初めて名人となったヒフミンこと加藤一二三九段は、対局場から走って電話に飛びつき(当時は携帯電話などない)妻に「勝った」「勝った」と叫んだという。

「棋聖」が代名詞だった米長邦雄永世棋聖(故人)も49歳での「最年長名人奪取」が大きな話題になった。

 名人獲得の最年少記録は谷川浩司九段(十七世名人資格者)の21歳2カ月だ。ところがこの名人位だけは藤井聡太とて「来年にも」とはならない。

 名人位はトーナメント形式ではなく、C2組からの各級ごとの順位戦を戦って、年度ごとに昇級して10人しかいないA級入りし、総当たりリーグでトップの成績を残した棋士が挑戦者になる仕組みだ。しかし藤井はC1組に在籍中、9勝1敗の好成績ながら、同成績だった師匠の杉本昌隆八段が席次の関係で先にB2組に上がり、C1クラスに2期とどまる不運な「留年」があった(不運と言えば今回の王将戦も広瀬とともに3勝3敗だったが、前期成績の席次で広瀬は残り藤井は陥落した)。

 藤井と同じく中学生棋士だった谷川は、14歳でのプロ入り時の年齢は藤井を6か月上回る。C2級「脱出」は二年かかったがその後は一度も「留年」せずにA級に上がった。上がったばかりの1982年のリーグで挑戦権を得て83年に加藤を破り名人に輝いた。

 現在B2組の藤井は、順位戦で6戦全勝。来年3月まで戦われる順位戦で上位2人に入ってB1組に昇級する可能性は高そうだ。ここから順調にA級入りしてリーグ戦を勝ち抜けば最短で2022年の名人戦に登場することになる。この名人戦のさなかに藤井は二十歳になる。

「天敵」の豊島二冠

 さらに、藤井が今後、克服しなくてはならないのが「天敵」の豊島二冠である。並み居るトップ級を倒してきた藤井がただ一人、豊島にだけは一度も勝てず6連敗している。

 今年9月のJT杯で豊島に5連敗した時、井上九段は「藤井二冠はこういう手にはこう指す、のような自分流を貫く信念のようなものがある。これに対して豊島竜王は相手によって作戦を立てて、徐々に主導権を取って優位に持っていくタイプ。高度な作戦家、戦術家です。内容的にはほとんど差がないのですが、最後に勝利に結びつける豊島竜王の術が少し上回ったようです。とはいえ、藤井二冠もまだ苦手意識を持ったわけではないと思いますが」と話していた。藤井聡太が通った「ふみもと子供将棋教室」(愛知県瀬戸市)の文本力雄さんは「大橋貴光さん(六段、藤井と同期)にも負け越していますが、同じ相手に6連敗するなど子供の頃から経験がなかったのでは。苦手意識で力を出せなくなるようなことがなければいいが」と心配する。豊島は昨年、名人位を獲得した頃「対人の練習局は指さず、すべてAI(人工知能)での研究」と話していたが、最近は研究会に戻って対人の研究もするようになったという。

 藤井ももちろんAI研究が多い。筆者は藤井の対局姿を見て、相手が大棋士でも並の棋士でも、あるいはAIでも関係ないと感じていた。理由がある。藤井は初手を指す直前に必ず水分補給する。「さあ、どう来る」と待ち構える格上の大棋士を一瞥もせず、悠然と飲料を飲んでから指す。

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