“歌手の小金沢君”が酒気帯び運転 中学で裏番、高校でスピード違反のヤンチャ自慢

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小金沢語録

 彼がなぜ北島の弟子になったかは、当時の雑誌などで語り尽くされている。曰く、

〈神奈川県大和市出身。高校卒業後、家業のラーメン屋「八起(やおき)」(七転八起から店名はとられた)を手伝っていたが、22歳のころ歌手になりたくて家を飛び出し、レストランに住み込みで働きながら、オーディションに応募しまくる〉(「週刊現代」92年10月3日号)

――ただし、家を出たのは20歳、22歳のツーパターンがある。

〈で、25の時かな。職も転々として、歌手への道も一向に開けない。これが最後のカケだと決心して、北島音楽事務所に3日間通ってなんとか付き人にしてもらったんです〉(「BIG tomorrow」96年1月号)

――北島事務所に日参したのは、3日間とも、数ヶ月、半年など諸説あるが、以後4年間、小金沢は北島の付き人兼、楽器や衣装などを運ぶ運転手を務めたという。その間の自身のドジ話は十八番と言っていいほど。

〈うちの師匠は時間と忘れ物にはきびしいですね。一度寝坊しちゃって、武道館へ行くのが1時間遅れちゃったときなんか、バカバカ殴られました。そのときすごい高い時計がポーンと飛んだんですけど、それを拾ってポケットに入れてから、また殴るんですよ(笑)〉(「週刊大衆」93年5月3日号)

――もちろんフォローも忘れない。

〈実際に、何年かずっとついていて、この人には、歌はもちろん、喧嘩(けんか)にしても、どんな面でも絶対に勝てないなと思ったんです〉(「女性自身」94年10月11日号〉)

――北島三郎を相手に喧嘩しようと考えないだろう、と思ったら、すぐにこう明かしている。

〈僕、師匠のところに行く前は僕よりすごい奴(やつ)はいないと思っていたんですよ。新宿で働いていたときもお店の弾き語りの先生にも、僕は絶対に勝てるなとか、すぐそういう変な考えを持つんですね。ですから逆に、この人には勝てないとなると、ハチ公になるほうなんです〉(同)

――CMでのブレイクから時間が経つにつれ、21世紀になるとそれまで語られなかった話も出てくる。空手をやっていたことを振られて、

〈そうですね。やはりすぐにストリートファイトに走ったのは、腕力に自信があったからでしょう。新宿の歌舞伎町界わいでは、血の気が多いことで有名でしたよ(笑い)。その筋の人とも喧嘩して、連れ去られそうになったこともありました〉(「週刊実話」01年06月07日号)

――さらに、出身高校についても触れる。

〈昔から硬派なタイプの人間でしたから(笑い)。僕は国士舘高校出身なんで、周りもチャラチャラしている人間は少なくて、みんな僕と似たり寄ったりのタイプが多かった。もちろん、事務所の人間も硬派ばかりです〉(同)

――国士舘高校といえば、ある意味、名門校であった。となると、“血の気が多い”のは、空手をやっていたからというわけではないはずだ。話は中学時代に遡る。

〈「タイマンを張る」とか「ヤキを入れる」とか、そういう言葉を知らないぐらいの中学生だったんですけど、二年生の時に番長とケンカになってしまったんですね。それで怪我させちゃったんですよ。(中略)でも、面白いことに、そこから学校で無視されるようになったんです。みんな、一切、僕と口を利かない。おかしいなと思ったら、その番長のお兄さんがヤクザだったんですよ。お兄さんが怖いから僕と話さなかったと。要するに僕の存在って裏番になっちゃったんですよ(笑)〉(「スコラ」08年6月号)

――さらに……当時の暴走族は眼中になかったとも。

〈当時、一番ヤバかった“極悪”というチームは国士舘の生徒だったこともありますし、裏番のこともありましたから。交通違反的な意味で悪いことは多少したと思いますけど、ヤキを入れたりとか、シンナーやったりとか、そういうのは注意する方でしたね。(中略)ただ、やっぱり親に対しては申し訳なかったというのがあります。どうしてもスピードを出しすぎれば捕まっちゃう。神奈川県一帯の警察署のほとんどに、母親が僕を引き取りに来てましたからね(笑)〉(同)

――スピード違反で親が引き取りに来るものかはともかく、かなりのヤンチャぶりだ。警察のご厄介になったのも初めてではなかったということだろう。もっとも、今回は神奈川県警ではなく警視庁だが。

「小金沢は、CMでブレイクした時に発売したシングル『おまえだけ』が35万枚のヒットとなりましたが、それを超えるヒットはありません。もちろん紅白に出場したこともない。彼が話題となるのは、UFOを撮影したとか、本業とは関係のないことばかり。14年に北島事務所からのれん分けという形をとって独立しましたが、現在も年始などには北島さんのところに挨拶に行っているようです。今後のためにも、喧嘩で勝てないという北島さんからガツンと叱ってもらったほうがいいかもしれませんね」(前出・芸能記者)

週刊新潮WEB取材班

2020年12月2日掲載

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