コロナ対策、菅首相は何回「全力を挙げて」の掛け声を繰り返すのか 報道の問題点は

国内 社会 2020年11月27日掲載

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 新型コロナの止まらない感染拡大を受けて、政府も当然、危機感を強めているのであろう。

 菅首相は、GoToキャンペーンの見直しを表明した21日の新型コロナウイルス感染症対策本部会議終了後、次のように発言している。

「各大臣におかれては、国民の命と暮らしを守るために、自治体と緊密に連携しながら、これらの対策に全力で当たっていただきたいと思います」

 もちろん対策に全力で当たってほしくないと思う人はいないだろう。

 が、一方でこの種の表現、このところやたらと目にするのだ。

「菅義偉首相は18日、西村康稔経済再生担当相、田村憲久厚生労働相と首相官邸で会い、国内の感染状況などについて報告を受けた。その上で『感染拡大を防ぐため、全力を挙げて取り組むように』と述べ、都道府県知事と連携し、高齢者施設でのPCR検査の徹底などを指示した」(時事通信・11月18日配信記事より)

 トップである菅首相は3日前にも担当大臣に「全力を挙げろ」と命じている。

 しかしこれで「そうか、総理も本気だな」と感じる人はどのくらい存在するのだろうか。

 むしろ記憶の良い方は既視感に襲われたかもしれない。

 次の文章はこの前週、11月13日配信の読売新聞オンライン記事からの引用である。

「菅首相は同日夜、田村厚生労働相と西村経済再生相に対し、爆発的な感染拡大とならないよう、都道府県知事と連携して対処するよう指示した」

 二人の大臣に今更なことを指示している。さらにこの3日前、共同通信は次のような記事を配信している。

「菅義偉首相は10日、政府の新型コロナウイルス感染症対策本部会合で、各閣僚に対し『この冬に備え、科学的な知見を生かしつつ、感染拡大の防止と社会経済活動の両立に全力で当たっていただきたい』と指示した」

「全力」とは何を指すのか

 就任時に「最優先課題」と語っていたコロナ対策について、なんだかずっとことあるごとに「全力で」といった掛け声を繰り返しているのだ。「死ぬ気でくらいつけ」と発破をかけ続けている野球部の監督のようである。

 結局のところ、日々の首相の動静を発表通りに伝える報道では、一体、「全力」とは何を指すのか、前回の指示と今回の指示は何か違うのかといったことがわかりにくい。大臣や官僚に聞けば「ずっと全力でやっております」と答えるに違いない。

 フリージャーナリストで『フェイクニュースの見分け方』などの著作がある烏賀陽弘道氏は、こうした報道の問題点をこう指摘する。

「私は日本の新聞、テレビなど記者クラブ系マスメディアの病理を『ウソは書かないが、本当のことも書かない』ことだと指摘しています。

 政府発表、この場合は官邸の発表をもとに書いているこれらの記事ではウソは書いていないでしょう。実際に菅首相はそれぞれの場面で指示を出して、新聞はその言葉を一字一句書いている。その意味ではウソは書いていない。

 しかし厄介なのは『本当の事』も言っていないという点です。まず、首相が同じような指示を繰り返して出していることに触れない。つまり『抽象的な言葉で指示を出しただけ』『そこには具体的な対策はなんら示されていない』という事実を抜かしている。

 そんな記事を読まされる方は、その発言や指示にどんな意味があるのかはさっぱりわからない。Aさんがこう発言した、Bさんがこう発言した、といった発表ベースの情報をいくら伝えても、読者、国民には、それが何を意味するのか判断できません。

 ここでは、新聞が何を書いたのかより、何を書かなかったのかの方が重要なのです。これでは読者に大きなストレスを与えます。

 料理に例えれば、個々の発言はニンジンなりピーマンなりの『材料』にすぎない。記者に求められるのは、その材料を使ってチャーハンを作るのかシチューを作るのかという『情報の料理人』としての技量なのです。

 特にコロナのようなクライシスの報道では『ビッグピクチャー』を持つ視点が求められます。単にその時の事象のみを見るのではなく、時間軸、空間軸を広げて検証するのです。たとえば首相の指示でいえば、これが何度目なのか、それは単なる掛け声か、新しい指示はあったのか、あったとすればこれまでそういう指示をしていなかったのはなぜか等々、いくらでも疑問はある。それを検証する姿勢がジャーナリズムに求められるのではないでしょうか。コロナ報道では、取材側のビッグピクチャーの欠如が目立つと感じます」

矛盾を批判しないマスメディア

 首相はようやくキャンペーンの見直しを表明したが、そこに至るまでも「官房長官はこう言った」「〇〇医師はこう言った」「観光協会はこう心配している」といった断片的な情報がただ並んでいることが多かった。烏賀陽氏はこう話す。

「人間は『ウイルスの乗り物』なので、人が動けば伝染が広まる確率は上がる。ここまでは当たり前すぎるほど当たり前の物理的事実でしょう。

 ところが、日本政府はコロナ対策とGoToキャンペーンというまったく正反対に矛盾した政策を実施してしまいました。個人的には感染拡大の局面で、旅行を推奨するというのは正気とは思えません。

 本当に不思議なのは、これほどまでの矛盾をマスメディアが批判しない点です。かつて自民党一党支配の時代なら、こうした政策の矛盾は『閣内不一致』という形で非難を浴びた。しかし、そんな言葉も昨今のメディアでは出てきません。

 閣僚の中にも、『合理的に考えてキャンペーンは止めたほうがいい』と思う人がいたのではないか。ならば番記者らはそういう人の発言を取材しないのか。どうしてそれが記事にならないのか。実に不可解です」

 このあと菅首相は何回「全力で対応」を指示するのだろうか。その「本気」がわかりやすく伝わってくる日は来るのだろうか。とりあえず現時点で判明しているのは、21日の「全力で」指令まで、政府はキャンペーンの途中での軌道修正や見直しのシナリオを検討、準備していなかった、ということだろうか。

デイリー新潮編集部