巨人「松原聖弥」の非エリートな野球人生、名門高校での挫折と無名大学での活躍

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 今年のプロ野球セ・リーグで昨シーズンに続く連覇を果たした読売ジャイアンツにあって、最もブレイクした若手野手は誰か? “2番・ライト”のレギュラーの座をしっかりと勝ち取った感のある松原聖弥である。

 松原は右投げ左打ち外野手で、2016年のドラフト会議で育成選手として5位指名された。現在25歳、今年でプロ4年目を迎えた期待の若手である。過去3年間は1度も1軍出場がなかったが、今シーズンは7月25日に初の1軍昇格すると、同日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初安打となる二塁打を放った。さらに8月18日に1軍スタメン初出場を果たすと、そこからスタメン落ちすることはほとんどなく、ついにブレイクを果たしたのである。

 だが、そんな“新戦力”のアマチュア時代を知っている人はほとんどいない。野球人としては“非エリート”で“裏街道”を歩んできたからだ。今回はそんな無名の男が見事“成り上がった”軌跡をお届けしたいと思う。

 まず、出身地は大阪府である。だが、高校は大阪から遠く離れた宮城県の名門・仙台育英に進学した。その理由は「大阪にいても甲子園に出るのは難しい」「仙台育英が強かったから」だ。こうして一般受験で合格を果たし、寮生活を送ることとなったが、いわゆる特待生を含む猛者が宮城県外からも多数集まる強豪チームにあって、そのレベルは松原の想像を遥かに超えていた。苦戦の連続でレギュラーは夢のまた夢、ベンチ入りメンバーの座ですらなかなか手が届かなかったのである。

 ようやくベンチ入りメンバーを果たしたのは2年生の秋のこと。県大会ではセカンドで出場したが、準々決勝で石巻商の前に2-3で惜敗してしまう。さらにこの翌年、チームは夏の県予選を勝ち抜いて甲子園出場を果たしたものの、松原自身は春の県大会からベンチ外となっていて、スタンドで声を嗄らして応援したクチであった(ちなみにそのときの4番打者は1学年下で現在は福岡ソフトバンクホークスで活躍する上林誠知であった)。こうして高校時代は目立った実績のない松原であったが、ひとつ面白いエピソードがある。3年夏で野球部を引退したあと、退部届を出し、陸上競技部に転部したのだ。というのも、松原が同校に入学した翌11年3月にあの東日本大震災が発生した。その影響などで駅伝の主力メンバー10人が愛知県の豊川高校に集団転校してしまったのである。要は松原は“助っ人”だったワケだ。予選のメンバーには入れず、チームも全国大会出場が20年連続で途切れるハメに。

 高校時代いいとこなしだった松原は首都大学野球連盟に加盟してはいるものの、中央球界ではまったく無名の明星大に進学した。明星大はトップ6チームが揃う1部リーグではなく、その下位に位置する2部リーグ所属だ。そして内野手から外野手に転向すると、1年時から早くもリーグ戦への出場を果たしたのである。その後、2年春には5番・ライトでスタメン出場を勝ち取るとチームの5季ぶり2度目のリーグ優勝に貢献した。さらに2部ベストナインのタイトルも獲得している。以後、ライト、レフトでの起用を経て不動のセンターに定着し、好守両面でチームをけん引し、チームは4年間で4度にも亘って2部リーグ戦を制することとなるのである。さらに4年秋には城西大との入れ替え戦を制し、念願の1部昇格を果たすのであった。

 こうして4年間、明星大の主力としてチームを支えた松原は、首都大学2部リーグながら、4年春のリーグ戦まで5季連続で外野手の2部ベストナインに選出されたこともあり、ドラフト候補に急成長することとなる。その最大の武器が50メートル5・8秒、ベース1周13・9秒を計時する驚異の脚力であった。守ってはその脚力を生かした守備範囲の広さが持ち味で、打っては身長173センチ、体重73キロと小柄な身体から打球を左右に弾き返す左の好打者というのが松原のイメージである。要は俊足好守好打のセンターというワケだが、俊足の左打者にありがちな(流し打ちやスタートを早く切るための)当てるだけのバッティングをしない点も魅力のひとつ。しっかりと振り切っているので外野の間を抜く長打が多いのである。4年秋のリーグ戦の開幕戦となる玉川大との1回戦では右中間スタンドに叩き込む3ランを記録したほどだ。

 だが、それでも大学4年時の松原は、打撃はまだまだ未熟という評価だったようだ。とはいえ、その脚力と守備力が魅力的だったため、16年のドラフトで育成5位ながら読売が指名したのである。ちょうどこの年は“代走のスペシャリスト”と評された鈴木尚広が現役引退を表明したばかり。いわば“尚広2世”という期待もされていた。

 プロ1年目は2軍の公式戦では7試合に出場して1本もヒットを打つことが出来なかった。それでも3軍戦では100試合に出場し、394打数131安打1本塁打で打率3割3分2厘をマーク、盗塁も45個を数えた。この3軍戦において打率、安打数、盗塁でずば抜けた成績を挙げたこともあり、オフには台湾ウインターリーグの派遣メンバーにも選ばれている。そのウインターリーグでは7つの捕殺に成功するなど、守備力にさらに磨きがかかってきた。加えて打率3割超とチーム2位の打撃成績をマークしたのである。その結果、プロ2年目の18年は春季キャンプで育成野手として唯一、1軍のキャンプに抜擢されることとなったのだ。

 だが、最後まで1軍のキャンプに同行したものの、1軍のオープン戦のメンバーに登録されることはなかった。ただ、シーズンが始まるとファームで78試合に出場し、打率3割1分9厘、盗塁数はリーグトップの16盗塁をマークし、7月30日にようやく支配下登録をたぐり寄せたのである。結局、この年は最終的に2軍で118試合中117試合に出場し、打率3割1分6厘、134安打、24盗塁をマーク。打率はリーグトップ、安打数はイースタン・リーグの新記録となり、盗塁数もリーグ2位という好成績であった。昨年もファームでは打率2割8分7厘、96安打、5本塁打と安定した成績を収めた。そして今年ついに1軍デビューを飾ることとなったワケである。

 自慢の俊足を生かしたプレーが松原の真骨頂だが、今年の読売の総三塁打数15本のうち、5本を松原が放っている事実を最後に記しておきたい。しかもセ・リーグの三塁打王は中日ドラゴンズの京田陽太の7本だが、京田が491打席なのに対し、松原は313打席で5本も打っている点は見逃せない。ちなみに読売の中で複数三塁打を打っている選手はあともう1人いて、それがトップバッターに定着した吉川尚輝の2本であった。9月以降、松原は吉川とともに強力クリーンアップにつなぐ1、2番に定着し、打線の火付け役として見事な役割を果たした。そういう意味でもまさに松原は今現在、野球部で補欠に甘んじている中学生や高校生に知ってもらいたい選手である。そんな雑草魂で頑張ってきた選手が、日本シリーズという晴れの舞台で躍動したらこれ以上痛快なことはない。いよいよ今日から日本シリーズが始まる。12年以来8年ぶりとなる日本一奪回が悲願の読売ジャイアンツにとって、若き核弾頭の活躍に期待したい。

上杉純也

週刊新潮WEB取材班編集

2020年11月21日掲載

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