カロリー目標900kcalは至難の技 知られざる「食事介助」の大きな負担 助けになったのはあのコンビニ──在宅で妻を介護するということ(第13回)

  • ブックマーク

Advertisement

「彼女を自宅で看取ることになるかもしれない」 そんな覚悟もしつつ、68歳で62歳の妻の在宅介護をすることになったライターの平尾俊郎氏。幸いなことに、少しずつ妻は回復していった。意思疎通ができるようになり、「俊ちゃん」と夫の名前も呼んでくれるようになった。

 次の段階は「口で食べる」生活への移行。が、そこには思いもよらない壁があることに気づかされる

 体験的「在宅介護レポート」の第13回である。

【当時のわが家の状況】
夫婦2人、賃貸マンションに暮らす。夫68歳、妻62歳(要介護5)。千葉県千葉市在住。子どもなし。夫は売れないフリーライターで、終日家にいることが多い。利用中の介護サービス/訪問診療(月1回)、訪問看護(週2回)、訪問リハビリ(週2回)、訪問入浴(週1回)。

もう口から食べられる──私には確信があった

 ついにその日がやって来た。鼻から胃まで通っていた経管栄養のチューブを抜いてもらうのだ。これにより、多くの人が無意識にやっている「口から食べる」行為が可能になる。

 女房には相当不自由な思いをさせてしまった。考えてもみてほしい。舌や喉に全く触れることなく、水や栄養剤(液体)が胃袋に流し込まれるのだ。食感もなければ味も覚えず、ただ胃を満たすだけの食事。これを1日2回、1年と1カ月も続けてきたのだ。

 長さ60cmのビニールチューブはもはや身体の一部になっている。だから当人には、抜いてスッキリする感覚はないだろう。スッキリするのは見た目だ。チューブを固定した白い鼻テープがとれるだけで、症状が改善した実感が持てる。あくびをしたとき、喉を貫くチューブを見なくてすむ。

 10月24日。いつものように訪問診療の医師が来て経管抜去が行われた。鼻の絆創膏を外し、そのままチューブをつまんで手前に引っこ抜く。その間わずか5秒。身構えていた私は、あまりの呆気なさに拍子抜けした。女房にもこれといったリアクションは見られなかった。

 早速、とろみをつけた水を飲ませてみる。予行演習と同じように、何のためらいもなく飲み下す妻。むせたり、せき込む気配もない。力強く上下する喉元を見て医師も安心したようだ。予想していたように、女房の嚥下機能は一歩も後退していなかった。

 胃ろうにしていたらどうだったろう。胃ろうは安全で手間がかからないため、一度つくってしまうと「口から食べる」時期を逸してしまう恐れがある。きっとまだ付けていただろう。

 以前に述べたが、人工呼吸器と同じただの延命の具と化してしまう危険性が否定できない。それを身をもって教えてくれたのが私の父と母だ。緊急手術後、迷うことなく経管栄養を選択した判断は正しかったと思う。

 病院や施設に預けきりにしていたらどうだったろう。医師や看護師はできればリスクは避けたいし、施設もよけいな手間を省きたいから、家族が執拗に要求しない限り経管抜去の時期はもっと先に延びたはずだ。いや、そもそも経管にすると受け入れてくれる施設自体がぐんと少なくなる。

 医療や介護の素人でも、1年365日、病人と一緒に寝起きして身の回りの世話をしていれば、自ずと見えてくるものがある。それは、微妙なその日の身体のだるさや意識の冴え具合といったもので、血圧や血糖値といった数値には表れない。

 そうした観察眼は日を重ねるごとに鋭くなり、自分でいうのもなんだがプロっぽくなっていった。毎朝、女房の顔を一瞥するだけで、「今日はどのレベルにいるのか」分かるようになってくる。ここは「在宅」の最大の強味だと思う。

 もう口から食べられるんじゃないか──私にはそんな確信があった。だから医師に打診した。最終判断をするのは、どんな場合も家族であり介護者であるべきだと思う。

 素人でも、「在宅」で四六時中看ているからこそそれが分かるし、臆せず医師に提案できる。私の場合は、病院や施設に預けていてはこの判断や勇気が持てなかっただろう。わが家に関していえば、「在宅」を選択した判断もまた正しかったと思っている。

身体介助より、実はずっと大変な「食事介助」

 しかしモノを直接口からとれるようになると、介護者の負担は一気に増す。容易に想像できることだが、あまりの落差に私はたじろいだ。経管栄養時の倍、いや時間的拘束を含めると3倍以上と言ってもいいくらいだ。

 それまでの食事は、朝と晩に1回ずつ、経腸栄養剤「ラコールNF」(400ml・400kcal)を“与える”だけでよかった。バッグを逆さにし、自慢の自家製点滴棒(クイックルワイパーを押し入れの天袋に固定したもの)に吊るし、鼻から延びたチューブと連結するだけ。

 点滴の要領で栄養剤はポタポタと投下され、2時間弱で空になる。その間仕事をしたり家事をしたり、本当は離れてはいけないのだが、近場に買い物に出ることもあった。水分補給も同様で、セットしておくだけで1日に必要な量を自動的に投与できたのである。

 ところがどうだ。チューブを抜いてからというもの、食事にはとてつもなく手間と時間がかかるようになった。手が使えないから、コップの上げ下げからスプーンで口に運ぶまで、全部私がやってあげねばならない。そのぶんの時間もかかるが、飲み下すのに時間がかかったことがいちばんの理由だ。

 何せ喉や食道が唾液以外のものを受け入れるのは1年ぶりである。嚥下障害は認められなくても、嚥下機能は当然落ちている。唾液や食べ物が気管に入り、細菌の繁殖により炎症を起こす。これが「誤嚥性肺炎」で、肺炎で亡くなる高齢者の7~8割を占めるという。

 当初は、水を飲ませるにしても、「とろみ剤」を混ぜて多少の粘性をもたせたものをスプーンに乗せ、一口ずつゆっくり時間をかけて口に運んだ。コップ1杯の水を飲ませるのに10分以上かかり、気の長い私もさすがにイラついた。面倒さもあるが何より時間が惜しかった。

「こんなのが毎日続いたことには仕事にならない」と、一人になると口に出して言った。そして、ようやく気付いたのである。ここから本当の介護が、「在宅」の本番が始まるということに……。

 経管抜去は大きな節目となった。それまで、介護で大変なのは身体介助、特に下の世話だと思っていたが、そうではないことを教えてくれたのである。チューブを外して初めて、「食事介助」の大変さに気づいたのである。

 食事介助というと多くの人は摂食介助、つまりおかずを食べやすいサイズにカットしたり、食べ物をスプーンに乗せ口まで運ぶなど、食べるお手伝いをするシーンをイメージするだろう。しかしそれは、食事介助のほんのひとコマに過ぎない。

 食材の調達(買い物)、メニューの決定、エネルギーや栄養の管理、実際の調理、食後の後片付け、そして私の天敵の食器洗いまで、食事介助は間口が広く奥行きも深い。明らかに主婦の領分である。

 それでも、料理が趣味という旦那なら案外こなせるかもしれないが、レパートリーが生姜焼きと野菜炒めだけという私には、買い物以外は全く自信がなかった。それからの数カ月、私は食事介助という大きな壁と格闘することになった。

次ページ:カロリー目標900kcal、水600mlのノルマと格闘する

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。