バイデン大統領でも米国は今後10年動揺する可能性 足して2で割る政治手法は通用せず

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 米大統領選は11月7日、バイデン前副大統領の当選が報じられたが、トランプ大統領側はこれを認めず徹底抗戦の構えを崩していない。「公正な選挙で粛々と国のリーダーが選ばれるのが民主主義の基準である」とする現在のグローバル・スタンダートに当てはめれば、今回の大統領選は「失格」と言わざるを得ない。

 18世紀半ばに英国から独立し、世界初の民主主義国家となり、その後民主主義の「伝道師」を自認してきた米国に今何が起きているのだろうか。

「アメリカ合衆国が、その建国から『民主主義の国』であったというには、いくつかの留保が必要である」

 このように指摘するのは、『民主主義とは何か』の著者である宇野重規東京大学教授である(ちなみに宇野氏は、現在問題となっている日本学術会議の会員に任命されなかった6人のうちの1人である)。

 宇野氏がこのように主張する根拠は、「合衆国初期の指導者たち、すなわち『建国の父』たちが望んだ政治体制は、民主政ではなく共和政であった」という歴史的事実である。日本では民主政と共和政の違いが意識されることは極めて少ないが、「建国の父」たちは、純粋な民主政と共和政を厳密に区別していたという。

 純粋な民主政とは、古代ギリシャの都市国家アテネがそうであったように、市民が直接集まって政府を運営する政治体制のことである。アテネの民主政は200年近く続いたが、激しい党派争いがしばしば起こり、政治状況が常に不安定だった。

 これに対し共和政とは、少数の人々(エリート)によって公共の利益を目指す政治体制のことである。国にとっての真の利益、すなわち、公共の利益をよく理解しているとされるエリートによる統治によってはじめて、古代ローマのような大きな国家の運営も可能となるとする考えである。

 周知のことだが、「建国の父」たちは、奴隷を所有する大地主や弁護士といった知的職業に就く人など植民地の上層に位置する人々だった。彼らはフィラデルフィアの憲法制定会議で中心的な役割を果たしたが、彼らの間には独立戦争後に勃発した「シェイズの反乱」に対する恐怖心が蔓延していた。シェイズの反乱とは、独立戦争に従軍したダニエル・シェイズに率いられたマサチューセッツの貧しい農民が起こした「一揆」である。「独立の大義に尽くしたのに、自分たちはなぜこのような債務に苦しまなければならないのか」とする貧しい民衆の急進的な要求(債務の撤廃など)がとおれば、「建国の父」たちは自らの財産権などが保障されなくなってしまうと怯えていた。人民の直接的な政治参加を認めれば、出来たばかりの国の運営が危うくなることへの危惧があったことから、彼らが理想とした政治体制は「高い知性を持つ、有徳な人々による共和国」だったのである。

「建国の父」たちは「民主主義」を否定的に捉えていたことから、大統領を選ぶに当たっても、直接選挙ではなく、大統領選挙人を通じた間接選挙を採用したのである。選挙人は国民に選ばれることになっている現在、実質的には直接選挙に等しくなっているが、「少数の市民によって政府を運営する」とする「建国の父」たちの精神が、統治機構の根幹に残っていることに変わりはなく、選挙人は民意とは別に独自の判断を下すことが容認されているのである。

「共和政」として誕生した政治体制が、歴史的な経緯の中で実質的に「民主政」に移行してきた米国だが、その政治運営をかろうじて機能させていた大事な「前提」が、今回の大統領選挙を通じて崩れてしまったと思えてならない。その「前提」とは、「相互に対する寛容」と「組織的な自制心」、そして「手続きへの信頼」である。これらは憲法や法律で規定されているものではなく、社会のコモンセンス(常識)から生じる「目に見えないルール」であり、暗黙の規範である。

 民主政の本質は、自己の利益や価値の実現であり、その根底にあるのは「敵対」であることから、民主政をかろうじて機能させるためには、「寛容」や「自制心」や「適正とみなされる手続き」の存在が不可欠なのだが、この不文律が機能するためには、社会に広く共有された諸価値がなければならない。しかし1960年代以降、米国が急激に移民国家化し、非白人の影響力が急速に高まってきたことでこの不文律が急速に機能しなくなってしまったのである。

「2044年までには人口の半分以上が非白人となる」との予測の下で、「自分たちが近い将来マイノリティになってしまう」との恐怖が、狂信的なトランプ支持者を生み出していることは間違いなく、この現象はしばらくの間続いていくと予想されている。

 バイデン候補は「全ての米国人にとっての『大統領』になる」としているが、米国社会の分断は生やさしいものではない。「建国以来続く真の米国」というフィクションと「多様なアメリカ」というまったく別のフィクションを熱狂的に信じるグループ間の対立を解決しようとして、「足して2で割る」という従来の政治手法を使えば、問題が深刻化するばかりだろう。

 米国ではこれまで共和党と民主党という二大政党が、政権交代を通じて国の運営を行ってきたが、真っ二つに割れてしまった米国を再統合するためには、共和政と民主政がごちゃ混ぜになったどっちつかずの政治体制におさらばしなければならないのではないだろうか。このため米国は今後10年にわたって大きく動揺する可能性が高いが、その後に新たに誕生する米国が、真の意味での民主国家になることを祈るばかりである。

藤和彦
経済産業研究所上席研究員。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)、2016年より現職。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年11月9日掲載

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