「あの地獄の日々に比べれば『在宅』は楽勝」のはずだが……──在宅で妻を介護するということ(第12回)

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「俊ちゃん」と呼んでくれた

 長いトンネルを抜ける日は、突然という感じでやって来た。9月の初旬のことだった。朝のルーティン作業(バイタルチェック、おむつ交換、栄養剤投入)を終え、仕事部屋でパソコンを叩いていると、「俊ちゃん! 俊ちゃん!」(恥ずかしながら私のことだ)と呼ぶ声が隣室から聞こえてきた。

 ベッドに向かう途中で私はうれしくなった。ついに夫の名前を思い出してくれたのだ。それまで、名前を呼ばれることはなく、話はいきなり要件から始まった。「ところで私は誰?」と、あえて問いかけはしなかった。自然に口をついて出る、この瞬間を待っていたのだ。

 この日、彼女はいきなり長い言葉をしゃべり出した。何を言っているのか半分くらいは聞き取れなかったが、単語ではなく文章になって出てくる。目の表情もこれまでになく感情を含んでいる。医師の指示で、1種類のクスリを増量したのが功を奏したのだろうか。頭の中で何本かの線がつながったのだと、私には感じられた。

 それから数日後、訪問診療にやって来た医師は、妻と二言三言言葉を交わすなりこう言った。

「そろそろ嚥下(えんげ)の訓練を始めましょうか。うまくいけば、次回には経管抜去ができるかもしれません」。

 経管抜去はすなわち、「自分の口から食べる」ことを意味する。健常者には当たり前過ぎて気づかない口から食べるという行為が、人間として自立して生きていくためにどれほど重要なことか、私は妻を通じて初めて知った。そして、管を抜いたはいいが嚥下機能が以前のように戻らず、誤嚥性の肺炎を起こす人が少なくないことも。

 実は、1カ月ほど前に医師に打診したことがあった。経管栄養の期間があまり長くなると、食道をモノが通過しないために嚥下能力が落ちるのではと、素人ながらに心配していたからだ。そのときは「もう少し様子を見ましょう」と言われ、がっかりしたことがあった。

「鼻の管を抜くよ」──妻にその旨を伝えると、満面の笑みで喜びを表してくれた。鼻の穴から胃の中まで、長いチューブが挿入されたままの状態からやっと解放される。喉に、食道に、直に食べ物や水が通っていく。食べるとはそういうことだ。誰よりもこの時を待っていたのは女房に違いなかった。

 翌週から、看護師が来る度に嚥下の訓練を行った。経管が入ったままの状態で、とろみをつけた水をスプーンですくい口に含ませる。食道とチューブのわずかな隙間を通して反応を見るのだ。「ゆっくりゴックンしてね」と言われ、妻は大きく喉を上下させて、いとも簡単に飲み下した。

 案の定、むせることも咳こむこともなかった。彼女の嚥下能力が維持されているだろうことは、チューブ交換時の思いきりのよい管の飲み込みから推測できた。それに、年齢も62歳と若い。介護の情報や知識は一般に75歳以上の後期高齢者を対象にしたものが多いので、それを鵜呑みにするとかえって回復が遅くなると私は考えていた。

「今度、先生が来るときに抜いてもらいましょう」。スプーン7~8杯を何の問題もなくゴックンできたことで、看護師さんも太鼓判を押してくれた。

 あと3週間の辛抱だ。あくびをするといつも喉の奥に白いチューブが見えたが、そんな不自由ともおさらばだ。少し慣れてきたらプリンを、いや女房の好物の茶碗蒸しを、スプーンで少しずつ食べさせてあげよう。よくある介護の風景である行為が、ようやく私たちにもできるようになるのだ。

 カレンダーの次回の訪問診療の日を大きく赤丸で囲み、私たちは一日千秋の思いでその日を待った。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2020年11月5日掲載

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