「あの地獄の日々に比べれば『在宅』は楽勝」のはずだが……──在宅で妻を介護するということ(第12回)

平尾俊郎 在宅で妻を介護するということ 国内 社会 2020年11月5日掲載

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「自宅で看取ることになるかもしれない」 そんな覚悟もしつつ、68歳で62歳の妻の在宅介護をすることになったライターの平尾俊郎氏。介護も家事もそれなりに楽しみを見いだせたのには、その前段階で味わった「地獄」の体験も関係があるという。

 体験的「在宅介護レポート」の第12回である。

【当時のわが家の状況】
夫婦2人、賃貸マンションに暮らす。夫68歳、妻62歳(要介護5)。千葉県千葉市在住。子どもなし。夫は売れないフリーライターで、終日家にいることが多い。利用中の介護サービス/訪問診療(月1回)、訪問看護(週2回)、訪問リハビリ(週2回)、訪問入浴(週1回)。

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救急車の赤色灯に1年前がよみがえる

 介護をしているいないにかかわらず、マンション暮らしは息が詰まる瞬間がある。閉所は苦手なので、私は1日に何度か、外の新しい空気が吸いたくて廊下に出る。6階だから見晴らしもいい。特に夜の時間が好きで、風に吹かれながら結構長い時間遠くの空を見ていることがある。

 あれは深夜だった。いつものように廊下に出て階下に目をやると、いつ来たのか救急車がマンションの駐車場に停まって赤色ランプをチカチカと点滅させている。サイレンは聞こえなかったのに、何かあったのだろうか……。途端に1年前の記憶がよみがえってきた。

 一昨年の夏、私たち夫婦はおそらく人生最大のピンチを迎えていた。妻は6月から1カ月余り、船橋にあるアルコール依存症専門病院に入院した。これが2度目である。「最初は失敗したが今度こそは……」という一縷の望みを捨ててはいなかったが、それは治療のための入院というより、酒が手に入らない環境に彼女を移すことが目的だった。

 2017年1月の最初の入院で、病院を出ればもとの木阿弥になることは分かっていた。アルコール依存症はそういう病気だ。どんなに周囲が頑張っても、当人が“心の底から酒をやめたい”という気持にならなければ治らない。案の定、7月に退院したその晩から、退院祝いだと缶ビールを空けた。

 それから連日、日の高いうちから焼酎を飲むようになり、最終的には毎日「いいちこ」を1日7合、ロックで胃に流し込んだ。酒を隠したところで近くにコンビニがあるからムダだ。「酒は違法じゃないから、ある意味覚醒剤よりタチが悪い」と誰かが言ったが、その通りだ。

 財布も隠した。すると、今度は台所の料理酒を飲みだした。料理酒を口にしたことがあるだろうか。塩とこうじを合体させた奇妙な味で、生のままでは一口たりとも飲み込めるしろものではない。その料理酒を1本空けたと知ったとき、私は観念した。本当の酒のほうがまだ身体にいいのだ。

 それからはもう欲しいだけ飲ませた。「いつかは内臓が悲鳴を上げるだろう。その日まで待つしかない」と。実際、その通りになった。胃に孔(あな)が開き緊急入院、脳の一部もアルコールにやられてしまったのである。「ウェルニッケ脳症(ビタミンB1が不足することから引き起こされる神経性の急性疾患)」という病名が付いた。

 救急車を何度も呼んだのはそのころである。酔ってふらつき、頭をテーブルの角にぶつけ何度か血だらけになった。急に息苦しさを訴え意識もうろうとなった。寝ていると思ったら口から泡を吹き……。多いときは月に3回。朝と夕、1日2回呼んでひんしゅくを買ったこともある。

 救急車の到着を待つときのあのジリジリした気持ち、周囲への申し訳ない思い、収容病院が決まらず待機する時間の長さ、ガタピシと信じられないくらい揺れる救急車の寝台……。間違いなく私たちに起きたことだ。今こうして、全く他人事として6階から見下ろしている自分が信じられないくらいだ。

 もう二度とあの日に戻りたくはない。「在宅介護は楽勝だ」と言い切る私の心のどこかに、「あの地獄の日々と比べたら」という思いがあることを打ち明けておかねばなるまい。

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