巨人のドラフト指名を蹴ったのは34名 1位を拒否した愛知の大学生投手も

スポーツ 野球 2020年10月15日掲載

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 10月26日に行われるドラフト会議。近年は入団を拒否する選手もほとんど見られなくなったが、草創期には、1965年の第1回ドラフトで、西鉄が指名した16人中13人が入団を拒否するなど、指名を蹴る選手も少なくなかった。それは人気球団の巨人も例外ではなく、昨年まで育成も含めて計34人が入団拒否しているが、うち29人がドラフト開始から最初の9年間に集中している。

 この中には神部年男(66年一次3位)、高畠導宏(66年二次5位)、楠城徹(69年7位)など、後に他球団で活躍した選手もいる。当時はまだ指名のルールも未整備で、本人の意向を無視した強行指名も多かったので、ある意味当然の結果と言えるかもしれない。

 その巨人が、1位から3位までの上位3人に入団を拒否されるという、まさかの事態に陥ったのが、V9を達成した73年だ。この年、指名順(当時は抽選で指名順を決定)10番目と出遅れた巨人が1位指名したのは、愛知学院大のエース・小林秀一だった。6月の全日本大学野球選手権準決勝で優勝候補の早大を4安打完封し、一躍注目を集めた下手投げの好投手である。

 だが、将来教員になろうと考えていた小林は、熊谷組への就職を決め、ドラフト前にプロ拒否を宣言していた。なのに、事前に挨拶ひとつなかった巨人が1位指名したことから、本人は当惑した。

 同郷(熊本)の川上哲治監督が自ら出馬し、「熊谷組は本業の仕事があって、野球はその次だけど、ウチは野球という仕事で君を欲しいんだ」と口説いたが、皮肉にもこの言葉で、小林は「自分は仕事としての野球を選んだんじゃない」と入団を拒否する考えが固まった。

 巨人の1位指名選手が入団を拒否したのは、後にも先にも小林一人だけだが、同年は2位の糸魚川商工の左腕・黒坂幸夫、3位の住友金属捕手・中村裕二も就職、会社残留を理由に相次いで入団拒否。5位の新日鉄堺の右腕・尾西和夫も含めて、指名7人中4人が拒否という“大失敗ドラフト”に終わった。

 一方、巨人の球団史上唯一(育成は除く)2年連続で指名されたのが、投手の山本昌樹だ。

 鳥取西高時代の71年に5位、松下電器入社後の翌72年にも10位で指名されたが、ついに巨人のユニホームを着ることはなかった。

 高校時代の山本は、71年夏の東中国大会準決勝で、同年の甲子園4強の岡山東商を8回まで2安打に抑え、9回2死まで2対1とリードしていたが、死球をきっかけに崩れ、無念の逆転負け。惜しくも甲子園を逃したものの、中国地区屈指の速球派右腕と注目されていた。

 だが、山本に関する当時の報道は少なく、地元紙・日本海新聞も、ドラフトの結果全体を報じた記事に「鳥西高の山本は巨人」のサブ見出しをつけただけ。スポーツ紙でも指名後の関連記事を見つけることができなかった。そんななかで、週刊ベースボールの同年12月6日号のドラフト特集の記事に興味深い一節があった。要旨は次のとおりだ。

 同年のドラフトは、最大の目玉だった慶大のスラッガー・松下勝美が松下電器入社を理由にプロ入りを拒否。どの球団も指名を見合わせたが、巨人はドラフト外での獲得を狙って、水面下で動いていた。同社への入社が内定していた山本を指名したのも、他球団と松下の争奪戦になったときに、山本の交渉権を放棄し、会社側に恩を売る形で優位に立つ狙いからでは、というもの。

 結局、松下はプロ拒否を貫き、山本も松下電器に入社したが、翌72年、巨人は再び山本を10位で指名する。

 山本は同年11月の産業別対抗準決勝で、優勝チームの鐘淵化学を7回4安打1失点に抑えるなど、エース・福間納(ロッテ‐阪神)に次ぐ2番手に成長しており、指名10人中10位は、実績に見合う評価とは言い難い。当時の一部報道では、抽選くじ11番目の巨人が、出遅れを挽回するため、8位の三協精機の投手・樋江井忠臣(中京高時代の70年にロッテの1位指名を拒否)や山本ら獲得困難が予想される選手も下位で押さえた結果、大量10人の指名になったのでは、と推測されていた。

 そして、巨人は1位の中井康之(西京商)をはじめ上位7人の入団が順調に決まると、ドラフトから3週間後の12月11日に「すべての補強が完了」と宣言。この時点で、山本を含む8位以下3人も交渉打ち切りとなった。

 半世紀近くも前の話なので、不明な点も多いが、結果的に山本は、2年連続で巨人の指名を受けながら、入団することなく終わった。そんな巨人も、入札方式が導入された78年以降は、本指名での入団拒否者は42年間で2人だけだ。

 一人は、80年の4位で、中京高の捕手・瀬戸山満年。プリンスホテル内定を理由に「4、5年は社会人で鍛えてから」と入団を断ったが、これが最初で最後の指名となった。89年の都市対抗では、攻守にわたる活躍で創部11年目の初Vに貢献。最優秀選手賞である「橋戸賞」に輝いている。

 2人目は、2005年の高校生ドラフト4巡目で指名されたセンバツV投手・福井優也(済美)。当初入団に前向きだったが、仮契約の2日前、突然入団を辞退。「高校生の4巡目指名は、大学・社会人を含めると7巡目、8巡目に相当する評価で、自信をなくした」というのが理由だった。

「将来逆指名、もしくはドラフト上位指名されるくらいまで頑張りたい」と出直しを誓い、一浪の後、早大に入学した福井は、10年に広島の1位指名をかち取り、回り道は吉と出た。

 最後にもう一人、09年の育成3位・陽川尚将(大阪金光)も「育成指名なら東農大進学」の初志を貫いて巨人の指名を蹴り、4年後、阪神3位指名と夢を叶えている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」上・下巻(野球文明叢書)

週刊新潮WEB取材班編集