「アントニオ猪木vs大木金太郎」で反日感情を操った朴正煕大統領

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貧しい韓国社会に希望を与えた、当代最高のスポーツスター

 当時、韓国国民はこれといった娯楽をもっていなかったため、テレビに熱狂した。その中でもプロレス放送は最高の人気番組だった。

 中でも金一(キム・イル 日本名は大木金太郎)はまさに国民的英雄だったが、金一氏のプロレス試合を中継する日には街に人がいなかったという。

 事実かどうか確認はできないが、当時、朴正熙大統領はボクシングとプロレスが大好きで、金一の試合を毎回観戦していたという。

 ある日、隣で一緒に見ていた全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が「こんな茶番劇のどこが面白くてご覧意になるのでしょうか」と言ったところ、朴正熙大統領に殴られたという。

 とにかく「一本足頭突き王」金一は、まさに大韓民国プロレス界の伝説であり英雄だった。

 彼は若い頃日本に密航し、刑務所に閉じ込められるという苦難の末、力道山の弟子になった。

 日本では大木金太郎というリングネームで活躍し、頭突きを必殺技とした。

 全盛期には力道山の日本プロレス(JWA)でジャイアント馬場、アントニオ猪木と共に若手三羽烏と呼ばれたくらいだから、その名をご存知の年配の日本人の方もたくさんいらっしゃることだろう。

 金一は、韓国に帰ってきて自らがプロモーターとして海外の人脈を動員して、カナダ、米国、日本などの選手たちとよく戦った。

 これを通じて金一は、当時、貧しい韓国社会に希望を与えた、当代最高のスポーツスターに成長した。

 しかも、自分より体格の大きいアメリカの選手や日本選手を相手に戦ったため、人気はさらに高まった。

 これは戦後、日本で米国の巨漢プロレスラーたちを招待して、彼らを倒しながら興行に成功した力道山の経営戦略をそのままベンチマーキングしたものだった。

 私も幼い頃、金一のプロレスリングを見て熱狂した。

 その中で何よりも日本のアントニオ猪木との試合は、今でも鮮明に覚えている。

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