友達の卒業アルバムに書いてしまった“重い一言”を反省(古市憲寿)

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 心に刺さった棘というと大げさなのだが、ふと思い出す昔の会話がある。

 あれは中学3年生の卒業式間際の出来事だ。卒業アルバムが配られ、巻末に級友たちと寄せ書きをしあっていた。同じ班で、すぐ後ろの席に座っていたナカムラさんからも一筆頼まれた。

 その時の僕が何の気なしに書いたメッセージは「変わらないでいてね」。ナカムラさんはクラスでも評判の優等生で、真面目な人だった。その良さを失わないで程度の意味だったのだが、今から考えると「変わらないで」という一言はあまりにも重すぎる。

 なぜなら、人は変わるのが当たり前だから。一日の中でも友人に見せる顔、恋人に甘える顔、上司をあしらう顔は違う。成長すれば性格や顔立ちさえも変わっていくだろう。

 僕はほとんどのことは「属性」ではなく「状態」だと思っている。

 たとえば「仕事ができる」「仕事ができない」というのは、その人の生まれつき変えられない「属性」ではなく、あくまでも「状態」。職場や上司を変えれば「できない人」が「できる人」になることも大いにあり得る。

 さらに言えば性別や国籍さえ生涯変えられない「属性」と思い込む必要はない。「男」や「女」、「日本人」や「アメリカ人」というのも、たまたま今その状態にあるだけ。強く望むならば、性別も国籍も変更可能だ。

 つい先日出版した『アスク・ミー・ホワイ』(マガジンハウス)という小説も、「変わる」ことがテーマの一つになっている。

 主人公はアムステルダムの日本料理店でバイトをする20代半ばのヤマトという青年。彼女とも別れ、冴えない毎日を送っていたが、ふとしたことからドラッグ騒動で引退した元人気俳優と知り合う。

 彼と出会ったことで、主人公の日々はどんどん充実していくが、同時に悩みもする。主人公は彼に好意を持つ。それは彼が有名人だからなのか。それとも純粋な友情なのか。もしくは愛情なのか。そんな甘い葛藤に苛まれるのだ。

 先ほどの話に引きつけて言えば「異性愛」「同性愛」というのも、死ぬまで変わらない属性というよりも状態なのだと思う。

 元々は「#うちで旅する」というハッシュタグをつけてツイッターで連載していた小説。新型コロナウイルスのせいで、海外旅行がしにくい時代になってしまったから、ヨーロッパを舞台に、人と人が思い合う物語を描いてみた。編集者のつけてくれたキャッチコピーは何と「今年No.1ロマンチック・ストーリー」。コロナのせいか作風まで変わってしまったようだ。

 ちなみにタイトルはビートルズの曲名。「ア」から始まったので、続編を書くとすれば『イエス・イット・イズ』だろうか(予定はない)。

 しんみりと中学時代を振り返るはずが新刊の宣伝になってしまった。ナカムラさんが「変わらないで」と書かれたことなどすぐに忘れてくれていたらいいと思う。今はどこで何をしているのだろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年9月10日号掲載

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