渡哲也さん「家族葬」に関係者は違和感 お別れ会も執り行われず…

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満身創痍で守った“看板”

 渡哲也さんは石原プロの2代目社長として、病魔に体を蝕まれながらも「ボス」の看板を守り続けた。そんな渡さんの葬儀は、本人の希望もあり家族葬で弔われたが、関係者らは事務所の対応に違和感を抱いているという。

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 1974年にNHK大河ドラマ「勝海舟」で主演を果たした渡は、しかし、撮影中に肋膜炎を患って途中降板。肝機能不全を併発させて9カ月もの入院生活を送っている。50歳を目前にした91年には直腸がんの手術を受け、オストメイト(人工肛門使用者)になったことを明らかにした。

 その後も肺気腫や喘息の持病に悩まされ、2015年には急性心筋梗塞に見舞われる。カテーテルを導入する大手術で命拾いするが、長いリハビリ生活を余儀なくされた。

 しかし、満身創痍でありながら、渡は「ボス」の名を冠した事務所を牽引し続けた。23年間にわたって守り続けた社長の座を2011年に退き、代表権をまき子夫人に返上したのも、健康上の理由というより、むしろ、裕次郎の社長在任期間を超えてはならないとの思いからだった。

「裕さんとはまるで兄弟」

「裕さんも渡も素晴らしい俳優で、撮影キャメラを覗き込むと役柄から生き様や性格が滲み出てくるんだよ。ふたりの間には上下関係なんてなくて、まるで兄弟のような間柄だった。裕さんが亡くなって渡が石原プロを引き継いだ時も、周囲からは文句ひとつ出なかった。石原プロの看板を背負える人間は他にいなかったし、誰もが渡に尊敬の念を抱いていたからね」

 そう語るのは、「黒部の太陽」など数々の映画で撮影監督を務め、裕次郎から「金ちゃん」の愛称で呼ばれた金宇(かなう)満司氏(87)だ。裕次郎が病魔に倒れた後、下の世話も含め、最後まで献身的に支え、『社長、命。』の著書がある人物だ。

 しかし、金宇氏ですら首を傾げるのは、かつて自身が常務取締役を務めた石原プロの今般の対応である。

 今月14日に発表された石原プロの発表文では、

〈葬儀につきましては、静かに送ってほしいという故人の強い希望によりすでに家族葬というかたちで執り行わせていただきました〉

〈お別れ会・偲ぶ会等の実施につきましては、故人の意向により執り行いません。何卒、故人の遺志をご理解いただけますようお願いいたします〉

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