浜口京子とケガに泣いた頭脳派 レスラー、「皆川博恵」が東京五輪にかける想いを語る

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膝を負傷 五輪延期は幸運に

 今年3月、五輪代表に内定していない選手たちは中国・西安市で開かれるアジア予選に臨むはずだったが武漢市に始まった新型コロナウイルス感染が急速に波及。あっという間に大会は中止に。感染は止まらず3月末、IOC(国際オリンピック委員会)は東京五輪の一年延期を決めた。

「延期はスマホかなんかのニュースで知りました。8月にピークに持っていける練習をしていたのですごいショックでした。でもどんどんコロナの感染が広がったので『今年絶対、オリンピックやってほしい』なんてとても言えないようになりました」

 自分の力でどうなるものではない。やれることをやるしかなかった。

 午前中は板橋区のナショナルトレーニングセンターでウエイトトレーニング。午後は東京の男子校、自由が丘学園高校のレスリング部員と汗を流す。今村浩之監督率いるクリナップ・レスリング部は自前の道場を持っていない。

 コロナ騒動後、五輪代表選手だけの合宿も行った。コロナ騒動後、全員抗体検査のうえで、五輪代表選手だけの合宿も実施した。しかし6月に右膝の半月板を痛めてしまう。今度は右足だ。手術で半月板を削り現在は自宅などでリハビリ中、9月に練習に戻る予定だ。
 延期にならなければ本格的な練習ができないうちに五輪となった。運がよかったかもしれない。ただ、コロナで五輪を取り巻く状況は悪化するばかりで「来年」にも黄信号が灯っている。

「アスリートは五輪を開催してと訴えられない」

 1980年のモスクワ五輪ボイコットでは天才レスラー高田裕司(現日本レスリング協会専務理事)が柔道の山下泰裕(現JOC会長)とともに会見し、泣きながら参加を訴えた。「歴史的事件」の象徴場面だ。ソ連のアフガニスタン侵攻に対する米国の決定に日本が追随する政治的理由だった。「もちろんオリンピックを開いてもらって出たいです。でも、今回は自然界のことが原因で多くの人が亡くなったりする中、アスリートたちも『開催してほしい』と強く訴えることはしにくいんです」とベテランは冷静だ。

 そんな皆川にレスリング人気や普及について問うと「五輪の半年前からだけ注目される競技なんて言われますが、もっと多くの人に普段のレスリングを見てもらいたい。それにはもっとルールが分かりやすくならないかなと思います」と返ってきた。

「ルールもよく変わるし、選手の私たちでも覚えるのに必死です。こんな複雑なのがテレビ観ている人にわかるのかなって正直思うんですよ」と吐露する。

目指せ「東洋の魔女」

 さて、吉田沙保里、伊調馨という超人の活躍などで五輪のメダルラッシュに沸いた女子レスリングも、最近は日本が得意とするタックルを研究され簡単には勝てなくなった。カザフスタンでは69キロ級リオ五輪金の土性沙羅が5位にとどまり、55キロ級の世界チャンピオンで53キロ級に落とした向田真優も決勝で北朝鮮選手にテクニカルフォールで敗れるなど不安を残した。

 そんな中も皆川は冷静だった。「準決勝のエストニア選手はタックルを警戒して低く構えてきたので、がぶっていくのが有効だと思って戦い勝てました。相手を見て落ち着いて戦うことは、昔よりはできてきたかな」と自己評価する(注・がぶるとは低い体制の相手に上から覆いかぶさるように抱えて攻めること)。

 「レスリング歴約三十年」(本人)で初の五輪切符を手にした皆川は「カザフスタンでは特に調子がよかったとかではないけど、身に染みついていたことが出せたと感じました」と振り返る。「身に染みついたことを出す」。地味だが最も大切で難しい。決勝相手のグレイは上背も皆川を大きく上回りサイボーグのような骨格だ。間近に見た筆者は「よくこんな相手と戦うな」と思ったが皆川は「勝てない相手ではないと思う」と分析していた。

 1964年の東京五輪女子バレーボール決勝。「東洋の魔女」たちは体格的にはるかに上回るソ連選手を相手に、猛特訓した回転レシーブで拾いまくりミスを誘って勝利し日本中を熱狂させた。皆川博恵は闘争心を表に出すタイプではない。熱くたぎるマグマを内に秘めながらも苦境や試練、大きな状況変化にも落ち着いて自己と周囲を見つめ続ける。

 もちろん格闘技での体格ハンディは球技より大きい。しかし来夏、日本が密かに誇るこの聡明な女性アスリートが計画的にマグマを爆発させ、最後は強敵グレイをも倒してレスリング界の「東洋の魔女」になれる気がする。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班

2020年8月24日掲載

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