戦争が生んだ「浮浪児」は3万5000人 当事者が語る路上生活【石井光太】
たとえば、傷痍軍人や「パンパン」と呼ばれた街娼たちだ。彼らは同じく生きるために上野駅の地下道に住みついたり、夜の街頭で春をひさいだりしていたが、行き場のない浮浪児たちを哀れに思い、声を掛けた。同じ戦争の犠牲者として放っておけなかったのだろう。
ある街娼は浮浪児たちを自分の家に住まわせ、ある傷痍軍人は毎日子供たちを集めては読み書きや計算を教えた。子供たちの将来を考えた時、最低限の教育が必要だと考えたのだ。
上野公園に住みついていたトランスジェンダーの人々と仲良くしていた子供たちもいた。戦後間もない頃、トランスジェンダーの人々は差別用語である「おかま」と蔑まれ、社会の外へ追いやられていた。その一部が上野公園の森にバラックを建てて暮らしていたのである。彼らは自分たちを色目で見ない浮浪児たちをかわいがり、食事を分けたり、仕事を紹介したりした。
また、一般市民の中にも手を差し伸べた人たちがいた。その一人が、石綿さたよ(終戦時48歳)だ。十代の三人の娘を持つ主婦だった。彼女は娘たちとともに上野駅へ行っては、浮浪児らを中野区にある家に連れ帰り、衣食住を提供して我が子同然に育てた。
後に、この家は「愛児の家」という児童養護施設となり、100人以上の浮浪児を迎え入れることになる。戦後の極貧の中で、さたよは私財を投げ打ち、親戚に借金を重ねてまで子供たちを育てたのだ。
終戦時中学一年生だった三女の裕(ひろ)さんは言う。
「子供たちは何年も駅で暮らしてきましたから、盗みが癖になってしまっている子もいましたよ。でも、母がくり返し愛情を注いだことで、子供たちもだんだんと信頼して、いい子になっていきました。僕たちを助けてくれたママさんを裏切っちゃいけないっていう気持ちになっていったんです。この時に愛情を感じられたから、みんな大人になっても健全に生きていけたんでしょうね」
さたよが浮浪児たちを救った背景には、夫の女癖の悪さに長年苦しんでいたことも関係していた。
傷痍軍人にせよ、街娼にせよ、トランスジェンダーにせよ、さたよにせよ、浮浪児を救ったのは人の心の痛みがわかる人たちだった。彼らの善意が、何万人という浮浪児たちの命を支えたのである。
終戦から5年、朝鮮戦争による特需とともに、日本は少しずつ戦後の暗い時代を抜け出していく。それとともに、浮浪児たちも一人また一人と上野の街を離れていった。
だが、彼らを待ち受けていた人生は決して楽なものではなかった。身寄りのない彼らは激動の時代を一人で生き抜かなければならなかった。
ある人物は高度経済成長の波に乗って建設会社を立ち上げ、一獲千金の夢を成し遂げた。後に、彼は手に入れた財産の一部を、自分を育ててくれた「愛児の家」に寄付した。
彼は自分の人生が、さたよの愛情なしでは成り立たなかったと確信していたのだ。施設には、すでに戦災孤児はいなくなり、虐待を受けて親元から引き離された子ばかりになっていた。彼はそんな子供たちに自分から声を掛け、かわいがったという。
一方で、人生につまずいた元浮浪児たちも少なくなかった。熊谷徳久という人物は大人になってから殺人事件を起こして死刑囚となり、石原伸司という元暴力団組長も79歳になって事件を起こした後にかつて浮浪児仲間が身を投げた隅田川に飛び込んで自殺した。
先日、長年ホームレス支援をしてきた稲葉剛さん(つくろい東京ファンド代表理事)と一緒になった時、こんなことを言われた。
「石井さんの『浮浪児1945』を読んで思い出したんですが、僕がホームレス支援をはじめた90年代には、元浮浪児だったというホームレスの人たちがたくさんいました。バブルで仕事を失ったんでしょうね。『子供時代にもホームレスで、歳を取った今もホームレスだよ』なんて話していました」
浮浪児として教育を受けられなかった彼らの中には、社会の隅で苦汁をなめてきた者も多い。そうした者たちが歳を取ってから不況の波に呑まれ、低収入の仕事さえ失うことになったのかもしれない。
こうした人々の生きざまについては拙著『浮浪児1945』を読んでいただきたいと思う。加えるなら、さたよが善意で設立した児童養護施設「愛児の家」は現在、孫の徳太郎さんが継いでいて、子供たちの養育に継続して力を注ぐ。
コロナ禍の中、徳太郎さんはこう言う。
「今回、コロナを体験して思ったのが、戦争だろうと伝染病だろうと、社会がどんな状況にあっても、僕たちは未来を担う子供たちを支えなければならないということです。戦後に祖母が国の支援もほとんどない中で浮浪児たちを救ったように、今も困難にある時にきちんと子供たちを守れるかどうかが、将来の日本を守るということにつながるのだと思っています」
終戦から75年。日本は新型コロナウイルスという新たな問題に直面している。だが、私たちが優先して守らなければならないことは何一つ変わっていないのだ。
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