文在寅も激励、日本国内の「最後の徴用工村」…政治的に利用されてきた歴史をひもとく

国際 韓国・北朝鮮 2020年8月12日掲載

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今や従軍慰安婦問題とともに、日韓関係をこじらせるもう一つの火種となっている

 8月4日を機に徴用工の問題が再びクローズアップされている。日本国内には、「最後の徴用村」として認識されるエリアがある。反日感情を呼び起こす“素材”として消費され、文在寅大統領も「最後の村」に対し、激励の手紙を送っている。つまり、母国に戻れず、日本に残った在日韓国人(朝鮮人)はすべて強制徴用で連れてこられて苦労ばかりしていた、そのことを歴史として聖域化し、民族受難の主張形成に利用しよう……というわけだ。しかし、この土地自体、同じ民族間で土地ころがしが行われるなど曰く付きの場所だったことがあるという。日韓関係史が専門の評論家が綴る。

 皆さん、ウトロ村(地区)をご存じですか。日本の方はあまりご存じないかも知れないが、韓国人にはかなり知られているところである。ウトロ村は、京都府宇治市に造成された、在日韓国人(朝鮮人)の集団居住地。いや居住地であった。韓国では、けっこう前から、戦時中に強制的に連れてこられ、過酷な労働を強いられた元徴用工やその二世、三世が暮らしている集落として知られている。

 今や従軍慰安婦問題とともに、日韓関係をこじらせるもう一つの火種となっている徴用工問題。これと深く関係のある、いわゆる民族の受難史を象徴する歴史的場所として記憶されているわけだ。

 また、この地区の住民は、数十年に亘って日本政府と日産グループを相手に居住権の保証を要求する闘争を展開してきた。その点から、日本国内では在日韓国人(朝鮮人)の人権問題の象徴的事例として、また韓国では日本人の非道をもって反日の素材として利用されているのである。

 そもそも町が造成された背景は、以下の通りである。1942年2月、京都飛行場と併設飛行機工場建設が決定され、日本の国際航空工業が建設工事を受注した。工事には2000人ほどの人員が動員され、そのうちの約1300人が朝鮮人であり、彼らの家族が生活していたところが、まさにウトロ地区であった。

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