国会に登場した「39名」女代議士の功罪~「強い女たち」列伝1

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ちゃんと女性が当選するように…

「戦後強くなったのは女と靴下」と言われたものだが、その言葉通り、戦後史に新風を吹き込んできたのは常に女たち――強い女たちであった。戦後日本の繁栄と発展、さらには今日に続く緩慢な衰退への道筋の中で、時代のターニングポイントに登場した「勁い女」たちの足跡を、まずは焼け跡に登場した婦人代議士たちの大いなる活躍と脱線ぶりから見ていくことにしたい。

(※「週刊新潮」2001年5月3日号に掲載されたものです。肩書や年齢は当時のまま使用しています)

 ***

 権力者に取り入る方法はいくつかあるが、一番手っ取り早く、しかも金がかからないのは、相手が気に入りそうな話をすることである。

 敗戦から2カ月後の昭和20年10月――新首相となった幣原喜重郎は、マッカーサーのもとへ挨拶に行く前に何か手土産が必要だと感じていた。あの男に喜ばれ、誉められ、その上ですぐにも実行できるプランはないものか?

「女性参政権はどうでしょうか」

 言い出しっぺは、内相の堀切善次郎だった。

「それだ。それでいこう」

 というやり取りがあったかどうかは知らないが、ともかくも女性参政権はバタバタと閣議決定され、恐る恐るGHQ本部に初見参した幣原は、大いにマッカーサーに誉められた。

 2カ月後に成立した新選挙法もまた、GHQに対する日本的気配りに満ちた代物であった。大選挙区制と制限連記制――ちゃんと女性が当選するように、投票用紙に最大で3人まで名前を書いてもよしとしたのである。

 この急ごしらえの新選挙制度のもと、戦後初の総選挙が行われたのは翌21年4月10日である。その日の朝刊にはこんな見出しが躍った。

〈けふだ! さあ行かう投票所へ〉

 かういふ雰囲気の中、新時代を託す人物を選ぶべく、有権者は空きっ腹を抱えて投票所に足を運んだ。

投票用紙には「西郷隆盛」「米五合くれ」の文字もあった

 投票用紙には、実に様々な人の名前が書かれていた。

「マツクアーサー」

「トルーマン」

「西郷隆盛」

 さらには、

「米五合くれ」

 ともあれ、多くの有権者が「一人くらい、女の名前を書いとくか」と考えた結果、一挙に39人の女性代議士が誕生したのである。「この時の女性当選者の一人である加藤シヅエは、マッカーサーに謁見した時の様子を月刊誌にこう記している。

〈「三十九名もの女性が当選したことは非常な驚きである。今後は国民のことを考えて仕事をしていただきたい。家庭のことをしながらも国家の一員として、社会貢献できる女性になってください」(マッカーサーは)しなやかに背をかがめて三十九人全員と握手を交わしてくださいました。私たちはまだ「公僕」という言葉を知りませんでしたが、後で教えられて、議員としての自覚を強め、マッカーサーの言葉を改めて噛み締めたものです〉

 GHQのプレッシャーがあったとはいえ、ともあれ新しい時代が到来したのである。

 さて、選ばれて国会の赤いジュウタンを踏んだ最初の女性代議士たちは、一体どんな人たちだったのだろうか。

 山崎劔二は、戦前、社会大衆党の代議士だった。戦争が始まるとボルネオに司政官として赴任したが、終戦を迎えても内地には何の連絡もなかった。妻の道子(45)=当選時、以下同=が静岡全県区からの出馬を決意したのは、いわば夫の地盤を守ろうという気持ちからだった。

 投票日まで、あと1週間と迫った21年4月初旬、沼津市の選挙事務所で道子は一通の手紙を受け取る。差出人は夫の友人だった。

〈大竹港で上陸直後の山崎劔二君に会いました〉

 それは、愛する夫が無事に帰国したという報せだった。

「山崎が帰ったわよ!」

 歓喜のあまり、道子は思わず叫んでいた。

「そりゃあ、よかった」

「これで静岡は磐石だ」

 大歓声が湧き上がる中、次の一文を目にした道子は、しかし愕然とする。

外地で女性と子供2人を連れて戻った夫に…

《山崎君から次のような伝言を頼まれました。女と子供二人を連れている。詳しいことは選挙が終ってから相談したい。以上のお言付でした〉

 まさか……。

 一夫一婦制の堅持を主張し、「蓄妾税」を設けよとまで叫んでいた劔二が、あの熱烈な社会主義者の夫が、死に物狂いの選挙戦のさなか、現地妻ばかりか、子連れで帰国したというのだ。

 道子は深く傷ついた。それはそうだろう。実際、これほど悲劇的な状況は、シェークスピアだってなかなか思いつくものではない。

 しかし、選挙戦は待っていてはくれない。道子はトラックに乗り、伊豆の小さな町々を巡って絶望的な街宣活動を続けた。

 地獄のような1週間の戦いを終えた彼女は、4月11日、沼津市の事務所で記者会見を開く。まだ開票は済んでいなかったが、すでに噂が噂を呼び、悲劇のヒロインである道子の当選は確実視されていた。

「4年も外地にいた男の気持ちがわからないわけではありませんが、私は自分の信念から離婚を決意いたしました」

 喜びで沸くはずの会見場はしんと静まり返った。

「私は婦人の幸せを叫んで立候補しました。家庭生活においては一夫一婦制を主張しております。そういう私が山崎を受け入れるとすれば、自分の主張を曲げて大衆を裏切ることになります」

「話し合いをした上で決めるべきだという意見もありましょうが、私も女ですから、会えば激情にかられて、どんな醜態を演じないとも限りません。取り乱したみじめな姿で別れたくないと思ったのです。夫の思い出だけを、弾圧の中を夫婦協力して戦ってきた時代の思い出を胸に秘めて生きようと思ったのです」

 会見後、道子の当選が決まった。19万余の得票は全国第2位。山崎改め藤原道子は、まさに新時代の「強い女」の象徴と見なされたのである。

 当選した女性議員の顔ぶれは賑やかな限りであった。

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