コロナ感染者増で「自粛警察」がまた跋扈――古谷経衡

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知的堕落

 ここに無批判に追従したのがいわゆる「自粛警察」である。西日本のある県では、他県ナンバーの車両をやり玉にあげ、「不要不急に越境している」として通報が相次いだ。果ては「この車は他県ナンバーだが、運転者の居住地は同県です」という抗弁のステッカーをボンネットに掲げないと、おちおち移動もできないという有様が出来した。本当に落胆した。何に落胆したのかといえば自粛警察の無知ぶりである。

 車両ナンバーは、運転者の居住地を意味しない。通称「車庫法」では、運転者の使用の本拠の位置(居住地)から直線2キロ圏内に自動車の保管場所設置が義務付けられている。逆に2キロ内であれば自動車の保管場所(車庫証明が出る限り)はどこでも許可される。

 理論的には、運転者の住所が東京でも、2キロ内なら川崎に自動車を保管することができる。その場合、運転者は東京都民だが、車両は川崎ナンバーになる(逆の例も然りで、使用の本拠を偽って管轄ナンバーを取得する行為を「車庫飛ばし」と呼び、これは違法である)。このような基礎的な知識を、自粛警察は有していない。一度でも自分で車検を通したり、陸運局に行ったことがあれば、この「矛盾」は合法として既知のはずである。

 私は緊急事態宣言下、誰にはばかることなく茨城の大洗に旅行した。大洗は海上航路(フェリー)で北海道(苫小牧)と結ばれている。私の泊まったホテルは中堅の老舗だったが、駐車場には帯広ナンバーや釧路ナンバーの車が大挙し、いい意味で安心した。ところがそのホテルのフロントで、「爪切りを貸してほしい」と頼むとにべもなく拒否された。その理由は「コロナ感染を防ぐために今は、爪切りをお貸ししていないのです」というモノであった。爪切りを介したコロナ感染の事例が一例でもあるのか、と小一時間問い詰めたかったが無意味だと思ってやめた。

 知性とは、懐疑から始まる。為政者やメディアやいわゆる「世間」の言うことをまず疑うのは、知性涵養の第一歩である。逆に疑うことをやめたとき、人々は知的堕落に陥る。「とりあえずお上がそう言うから」「テレビでそう言っているので」という理屈は、知的思考ではなく単純堕落である。何を根拠にそう言っているのか。何を根拠にそれを信じるのか。即答できない人間は知的感性の喪失と同じだ。

 同調圧力に追従していればよい。自粛警察の批判が自分に向かなければよい。そうして破滅に向かったのが大日本帝国である。

 戦後75年を経て、この国の人々は何も反省せず、またひいては人類も先の大戦の悲劇から何も学んでいない。自由・人権を盛んに唱えてきた者は、このような同調圧力と私刑の時代にどう抵抗したのか。遠くない将来、その言説が点検されるだろう。

 氷河と害虫を「破門」に処せば厄災は終わると信じた前近代のヨーロッパの宿痾は、今も全人類を蝕み続けている。

古谷経衡(ふるやつねひら)
1982年札幌生まれ。作家、文筆家。立命館大学文学部史学科(日本史)卒業。ネット保守、若者論などを中心に言論活動を展開。著書に『左翼も右翼もウソばかり』『「道徳自警団」がニッポンを滅ぼす』など。

週刊新潮 2020年7月30日号掲載

特集「『同調圧力』の正体とは!? またぞろ動き出す『自粛警察』」より

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