慶應大学が東京六大学野球でライバル「早明法」に追いつけない“ある記録”とは?

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にっぽん野球事始――清水一利(24)

 現在、野球は日本でもっとも人気があり、もっとも盛んに行われているスポーツだ。上はプロ野球から下は小学生の草野球まで、さらには女子野球もあり、まさに老若男女、誰からも愛されているスポーツとなっている。それが野球である。21世紀のいま、野球こそが相撲や柔道に代わる日本の国技となったといっても決して過言ではないだろう。そんな野球は、いつどのようにして日本に伝わり、どんな道をたどっていまに至る進化を遂げてきたのだろうか? この連載では、明治以来からの“野球の進化”の歩みを紐解きながら、話を進めていく。今回は第24回目だ。

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 1925(大正14)年10月19日の早慶復活第1戦に先立つ9月20日、明治は明大球場で立教との第1戦を行い7対1で勝利を収めた。これがいまも記録に残る、記念すべき東京六大学リーグの開幕戦とされている。

この年、観客を大いに沸かせたのが明治のエース・湯浅禎夫だった。湯浅は開幕の立教戦でリーグ初の勝利投手となったのを皮切りに剛腕ぶりを発揮。いまでも史上ただ1人のシーズン2度のノーヒットノーランを記録したばかりか、シーズン109奪三振も記録した。これは2004(平成16)年春、同じ明治の後輩、一場靖弘(楽天→ヤクルト)が107奪三振とあと2つまで迫ったものの破れず、現在もなおシーズン最多奪三振の連盟記録として残っている。どちらもリーグ開幕年に達成された記録だけに、平成を経て令和となったいまも、もっとも長く破られずにいる記録であることはいうまでもない。

ちなみに卒業後、湯浅は大阪毎日新聞社(現・毎日新聞大阪本社)に入社、運動部の記者として活躍していたが、1950(昭和25)年、パ・リーグの発足とともに誕生した毎日に監督兼選手として入団。チームを優勝に導き記念すべき第1回の日本シリーズでも松竹を破って優勝を飾るとともに1試合のみながら48歳で先発登板したが、この試合の対戦相手だった阪急の先発投手・浜崎真二が同じ48歳だったことから「2人合わせて96歳対決」として当時大きな話題となった。

 話を元に戻すと、エース湯浅を中心に実力をいかんなく発揮した明治だったが、それでも記念すべき最初のリーグ優勝の栄冠は、その明治に2勝1敗で勝ち越し、10勝1敗の好成績を挙げた早稲田の頭上に輝いた。

 その後1926(大正15)年春・慶應、同年秋・早稲田、1927(昭和2)年春、慶應と4シーズンにわたって早慶が優勝を分け合った後、明治が同年秋に初優勝を果たすと、続く1928(昭和3)年春も制して東京六大学リーグ初めての連覇を早慶よりも先に達成、3校の実力が伯仲して野球人気に大いに拍車をかけた。

 明治が黄金期を迎えたのは1937(昭和12)年春~1938(昭和13)年秋に4連覇を達成した時だろう。この快挙に大きく貢献したのが清水秀雄、児玉利一の両エースで、4連覇中ほとんどの試合を2人で投げ抜き他校を寄せつけなかった。

東京六大学リーグでは、現在チームとしての連覇の記録は4連覇が最高である。前述したように最初にこの記録を達成したのは明治だが、春秋の連覇もこの時がリーグ結成以来初の快挙だった。

その後、東大を除く各チームの力が拮抗したこともあり、4連覇はおろか3連覇する学校はなかなか現れなかった。しかし、20年後の1957(昭和32)年春~1958(昭和33)年秋、立教がようやく史上2校目の達成校になった。

と書くと読者の皆さんは、あの長嶋茂雄や杉浦忠、本屋敷錦吾らが活躍したのだろうと思われるかもしれない。たしかに4連覇スタートの1957(昭和32)年こそ長嶋らがチームを引っ張ったが、この年、彼らは最終学年であり翌年の2シーズンには出場していない。厚い選手層で優勝を勝ち取ったのである。

特に1958(昭和33)年春は1928(昭和3)年秋の慶應以来30年ぶり2校目という10戦全勝のオマケまでつけた。この時がまさに立教全盛期だった。

一方、長年なかなか達成できなかった早稲田が、ようやく4連覇を成し遂げたのが2002(平成14)年春~2003(平成15)年秋にかけてだった。この時の早稲田は和田毅(ダイエー~カブス~ソフトバンク)鳥谷敬(阪神~ロッテ)青木宣親(ヤクルト~ブルワーズ~ロイヤルズ~ジャイアンツ他~ヤクルト)田中浩康(ヤクルト~DeNA)、武内晋一(ヤクルト)と後にプロでも大活躍する選手たちを擁して他校を圧倒、ついに悲願を達成した。

こうして、明治、立教、早稲田とも一度達成しただけの4連覇を、法政は1969(昭和44)年秋~1971(昭和46)年春、1976(昭和51)年春~1977(昭和52)年秋、1987(昭和62)年秋~1989(平成元)年春とこれまでに3度もやっている。

中でも特に価値があるのは2回目だ。この時の4連覇は「花の49年組」といわれた江川卓、金光興二、島本啓次郎、植松精一などといった甲子園で活躍した選手たちが3、4年生となっていた時。4連覇中すべてのチームから勝ち点を奪う完全優勝であり、これまで6例あるリーグ4連覇記録の中で唯一無二の例となっている。おそらく、これほどの完成された強力なチームは二度と現れないだろう。

さて、今後、前人未到の5連覇を実現するチームは出てくるのかというと、いまはチーム力が以前に比べて均等化しているだけに難しいのではないかというのが一般的な見方だ。となると、余計にそんなチームを見てみたくなるのだが……。

ところで優勝経験のない東大はさておき、ここまで一度も名前の出てこない慶應は3連覇こそ一度あるが、いまだに4連覇に手が届いていない。連覇も30年近くも前の1991(平成3)年の春秋以降記録していない。はたして慶應が4連覇を成し遂げ、他校に追いつく日は来るのだろうか?

【つづく】

清水一利(しみず・かずとし)
1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS!500人を救え!~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月25日掲載

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