「ツーブロック禁止」で…昔の「暴君教師さま」の拷問のような校則解釈

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

「有名人の息子だからって調子に乗ってんじゃねえぞー」

 帰り際に暴君教師さまに「なんだその靴?」と呼び止められて居残りを命じられました。私を含めて数十人、白を基調とした運動靴を履いていかなかった者たちにタラタラと説教が始まりました。ここで私の対応が悪かったのですかね? 卒業を間近に控えていたのもあってか「先生、私服の時も靴の色は白って決まってるんですか?」などと宣ってしまったのです。

 すると暴君教師さま、沸点を超えたのでしょうね。

「とくみつ~、有名人の息子だからって調子に乗ってんじゃねえぞー」

 怒声を浴びせると前蹴りを一発食らわし、火の着いたタバコを私めがけて投げつけてきました。もう笑うしかない状況でしたが俯いて笑いをこらえていると「てめー、もう帰れ」。啖呵を切ってその場から立ち去りました。嵐が過ぎ顔を上げると、隣にいた女の子がガタガタと震えて動けなくなっていました。今でいう PTSDみたいな状態になってしまったのですかね? その後の人生でトラウマになっていなければ良いのですが……。

 お調子者でいい加減な私にも多分に問題はあったと思いますが、昭和の学校なんておそらくどこもこんな感じだったと思います。「ツーブロック禁止」の是非が話題になるこの時代は、平和なのかもしれません(現役学生の皆さんには切実な問題だと思いますが)。

 さらにこの「ツーブロック禁止」問題について杉村太蔵さんが「バラいろダンディ」(東京MX)で大要こんな風におっしゃっていました。「校則はなぜ存在するのかというと、子供たちがルールを守る練習。世の中に出たときに『これ変なルールだな』と思うことがありながらも、ルールである以上それを守らなければいけない。それを守る訓練というのもどこか教育的にあるのかなと理解しています。世の中の法律でも納得できないものって結構あると思いますから」

 この意見にはわたくしも同調します。こんな校則だったりアホな教師を見ていたりする中で、まさにそれらを反面教師として生きていけばいいと思いますし、世の中世界中見わたしたって性善説なんて存在しないわけですから。学校とは理不尽なことも含めての総合的な学びの場と解釈すると楽になると思われます。

徳光正行
1971年12月生まれ。茅ヶ崎市出身。日本大学芸術学部在学中よりミュージシャンを目指すが、父の病により断念。その後、司会業やタレント業に従事する。また執筆活動にも着手し『伝説になった男~三沢光晴という人~』『怪談手帖シリーズ』などを上梓。4月27日に岩井志麻子氏との共著『凶鳴怪談』を出版。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月20日掲載

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。