広島は大卒投手が次々活躍 新人王有力候補「森下暢仁」が引き継ぐ系譜

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 新人王最有力の看板に偽りなし。広島のルーキー、森下暢仁がプロ二度目の先発登板で初勝利をマークした。リーグ3連覇から昨季はまさかのBクラス転落となった広島だが、佐々岡真司新監督のもと、V奪回を狙うチームにまた一人、大卒出身の先発投手が加わった。

 開幕3戦目にプロ初登板となった森下は、強打のDeNA打線を7回まで無失点に抑えたが、リリーフ陣が打たれて逆転サヨナラ負けとなり、初先発初勝利は逃した。150キロを超えるストレートにカットボール、チェンジアップ、さらに独特の軌道を描くスローカーブを武器に7回まで8三振を奪い、強力打線を散発の4安打に封じた。最後のイニングも速球は152キロをマークしたが、投球数が100球に達したところで降板した。勝ち星こそ逃したが、相手のラミレス監督が「森下がすごくよかった。エースになれるだけのポテンシャルを持っている。代えてくれてラッキーだった」と評するほどの衝撃デビューとなった。

 二度目の登板は6月28日の中日戦。カード勝ち越しのかかった試合で、9回途中3失点で勝ち投手となった。チームが昨季4勝8敗と鬼門としていたナゴヤドームをものともしない快投だった。序盤から打線の大量援護を受けた森下は、8回まで4安打無失点。完封勝利を目指して9回のマウンドに上がったが、1死から連打を浴びて失点し、さらに2死からも連打でこの回3失点となり、あとワンアウトが取れずプロ初完投も逃した。試合後に森下は「終わり方が悪かったけど、勝ててホッとしている。本当にアウトを取るのは難しい」と反省したが、「(完投は)次にやりたいと思います」と胸を張った。

 森下は明治大からドラフト1位で入団した本格派右腕で、大分商高時代からU-18日本代表に選ばれるなど、甲子園出場は1年時の一度のみでも中央球界では知られた存在だった。大学時代もユニバーシアードやハーレムベースボールウイークでチームの優勝に貢献し、日米大学野球にも3年連続で代表に選出され、全日本大学選手権にも優勝。昨年のドラフトでは目玉的な存在と言われていた。

 しかし、最速163キロで“令和の怪物"と呼ばれた佐々木朗希(大船渡高→ロッテ)と甲子園で活躍した奥川恭伸(星稜高→ヤクルト)の大物高校生投手2人の存在もあり、広島がまさかの単独指名となった。就任したばかりの佐々岡新監督たっての希望による指名で、背番号は15年まで所属してエース格の存在だった前田健太、さらには新監督の現役時代の番号である「18」を継承した。春季キャンプから開幕ローテ入りは確実視されたが、オープン戦最終登板の試合で大量失点を喫し、開幕延期によるシーズン前の練習試合でも2試合連続で打ち込まれるなど、不安視する声もあった。しかし、開幕から2試合で見事に結果を残し、新人王候補の実力を見せつけた。

 明大出身の森下が加入した今季の広島の先発ローテーションは、大卒のドラフト上位入団選手を中心に構成されている。2年連続で開幕投手を務め、2試合連続完投勝利をマークした大瀬良大地は、九州共立大から13年ドラフト1位で3球団競合の末に入団。開幕5試合目の巨人戦で先発した九里亜蓮は、同年2位で亜細亜大からプロ入りした。

 開幕2戦目の先発を任された床田寛樹は、中部学院大から16年3位で入団したサウスポーで、森下を含めて開幕ローテ投手の6人中、4人が大卒出身となっている。ブルペン勢でも亜大から14年2位入団の薮田和樹、富士大から10年2位の中村恭平、日本文理大から17年3位のケムナ誠がいる。故障などの影響で開幕ローテからは外れたが、投手陣最年長で本来ならローテの一角を任されるはずだった野村祐輔は明大出身(11年1位)で、森下の直系の先輩になる。

 チームの戦力補強には、時代ごとにトレンドがある。広島は過去10年のドラフトで、6人の大卒投手を1位指名している。一昨年のオフに楽天へトレード移籍した福井優也(早稲田大、10年1位)や岡田明丈(大阪商業大、15年1位)、矢崎拓也(入団時は加藤、慶應大、16年1位)など、現在は二軍の投手もいるが、福井は15年に先発ローテ入りして9勝、岡田もプロ2年目の17年に12勝をマークするなど、結果も残している。他にも昨年ルーキーイヤーから25試合に登板した島内颯太郎(九州共立大、18年2位)など、期待の若手もおり、大卒投手の上位指名は球団のドラフト戦略の一環となっている。

 育成のイメージが強い広島だが、75年の初優勝以降は、高卒の投手でエース級の活躍をしたのは、名球会入りした北別府学(都城農、75年1位)と現メジャーリーガーの前田健太(PL学園、06年高校1位)ぐらいしかいない。

 球団史を振り返ると、75年は外木場義郎(電電九州、入団時はドラフト制前)、池谷公二郎(日本楽器、72年1位)と社会人出身の2大エースの存在が大きかった。第一次黄金期と言われる昭和50年代後半頃は、川口和久(デュプロ、80年1位)、津田恒実(協和発酵、81年1位)、川端順(東芝、83年1位)、長冨浩志(NTT関東、85年1位)と社会人出身投手の1位指名で投手王国を築いた。20世紀最後のリーグ優勝となった91年も、現監督である佐々岡真司(NTT中国、89年1位)が最多勝、最優秀防御率の二冠で、沢村賞、シーズンMVPにも輝いた。

 逆に球団低迷期と言うべき平成の前半頃には、新人王を獲得した山内泰幸(日体大、94年1位)や澤崎俊和(青学大、96年1位)、そして今やレジェンド的な存在となった黒田博樹(専修大、96年2位)、球団のセーブ記録を持つ永川勝浩(亜大、02年自由枠)など、現在と同様に大卒投手が奮闘した時期もあった。

 リーグ3連覇を達成した第二期黄金時代の投手陣を支えたのは、16年と18年にいずれも最多勝、最高勝率のタイトルを獲得した野村、大瀬良を中心とした大卒投手であることは間違いない。森下は、近年のチーム編成のトレンドを引き継いだ投手と言えそうだ。4年間、不在だったエース番号を継承した本格派右腕は、Bクラスに転落したチームのV奪回、さらには新たな黄金時代を築く存在になる。そんな期待が高まる鮮烈デビューだった。

週刊新潮WEB取材班

2020年7月17日掲載

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