サウジ政府が新型コロナでメッカ大巡礼を制限 国王の権威失墜で宮廷革命の動き

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 サウジアラビア政府が、新型コロナウイルスのパンデミックで苦境に陥っている。

 新型コロナウイルス感染者は22万人を超え(7月9日時点)、人口当たりの感染者数は中東地域で最大となっている。6月21日に全国規模の外出禁止令を解除したことが裏目に出て、その後感染者が急増してしまったからである。

 新型コロナウイルス対策費用がうなぎ登りに上昇する一方、歳入の8割を占めるとされる原油収入が激減している。原油収入が大幅に減少したのは、サウジアラビア自身が引き起こした原油価格の下落のせいである。

 パンデミックで世界の原油需要の3割(日量約3000万バレル)が減少したと懸念されていた3月上旬、ロシアとの減産協議が決裂するやいなや、世界市場のシェア確保のため、サウジアラビアは大増産に転じた。これにより原油価格は急落し、4月下旬に米WTI原油先物価格が1バレル当たりマイナス40ドルになるという異常事態が生じた。

 激怒したトランプ大統領に電話協議で米軍のサウジアラビアからの撤退を示唆されると、サウジアラビアはわずか1ヶ月で協調減産に逆戻りしたが、自らが仕掛けた価格戦争により、国庫は極端なカネ不足に陥ってしまったのである。

 焦った財政当局が採った手段は大増税と歳出削減である。

 2018年の付加価値税導入時に実施された貧困層への生活支援金は6月に廃止され、ガソリン価格などが高騰した。7月には付加価値税が5%から15%へと大幅に引き上げられたことから、「庶民の実質所得は3分の1も減少した」との嘆きの声が聞こえてくる(7月1日付アルジャジーラ)」

 国庫が「火の車」となっても、軍事費は一向に削減されない。2019年の軍事費はGDPの8%を占め、世界ランキングは第5位である。金食い虫となっているイエメンへの空爆作戦も続いている。

 次期国王と目されるムハンマド皇太子は、2016年に「ビジョン2030」を策定し、「脱石油国家」という建国以来の大改革に乗り出していることから、保守的な社会を解放し、経済を多角化してくれるとして、若い世代は強く支持しているとされている。

 しかし、成果は一向に挙がらず、国民が感じる「痛み」は募るばかりである。

 サウジアラビアなど湾岸産油国は「レンテイア国家」と呼ばれている。石油など天然資源から得られる収入に依存し、国民は選挙権を求めない代わりに、その恩恵の一部を享受するという「国のかたち」を指している。

 2011年に「アラブの春」が勃発した際、サウジアラビア政府は公務員や軍人の給料を2倍にするなどの措置を講ずることで国内の治安を維持してきたが、「無い袖は振れない」。国民に対する施しを大幅に削減しているにもかかわらず、政治的権利を認めようとする動きがないのが心配である。

 さらにサウジアラビア政府の正統性を揺るがす事態が生じようとしている。

 サウジアラビア政府は6月24日、7月後半から始まるメッカ大巡礼(ハッジ)の参加者をサウジアラビアに居住するイスラム教徒(2900万人)のうちわずか1000人に限るとの決定を下した。

 ハッジ参加者を大幅に制限するのは、1932年のサウジアラビア建国以来初めてのことである。19世紀にはハッジに参加した何万人もの巡礼者がコレラによって命を落としており、過去の教訓からやむを得ない措置だったかもしれないが、イスラム教徒にとってハッジの意義はとてつもなく大きい。

 ハッジは、イスラム教徒の5大義務の一つである。貧困や健康面の問題がなければ、イスラム教徒の成人は少なくとも人生に一度は実行しなければならない。例年であれば、世界のイスラム教徒(約18億人)のうち200万人以上がメッカを目指す。巡礼者は5~6日にわたり各地で他のイスラム教徒に出会い、一緒に祈る。さらに特別な白の衣装をまとうことで、世界中に散らばるイスラム教徒を一つのコミュニテイにまとめる力があるとされている。

 ハッジ参加者数を制限することは、経済にも大きな影響を与える。1週間の巡礼にかかる食事、ビザ、宿泊費用は1人当たり数千~数万ドルに達する。ロイターによれば、ハッジ関連収入は120億ドルに上り、石油関連を除いたサウジアラビアのGDPの2割に相当する。ハッジ関連収入に課税しているサウジアラビアの国庫にも大きな痛手となるが、本当の問題は別にある。

「賢明な決断だが、サウジアラビアの自尊心は傷つくだろう。ハッジの(実質的な)中断は秩序を揺るがす出来事である」(6月26日付ナショナルジオグラフィック)。

 このような懸念が専門家から出ているのは、サウジアラビア政府、いや、サウド家がこれまで国内はもちろん、中東地域で君臨してこられたのは、イスラム教の二大聖地であるメッカとメデイナの守護者という役割を担ってきたからである。しかし今回の措置はその役割を果たせなかったことを意味するのではないだろうか。国内外のイスラム教徒がこのように判断すれば、サウド家自身の正統性が大きく揺らぐことになりかねない。

 ムハンマド皇太子は王位継承のためライバルを次々と蹴落としてきたことから、サウジ王族内で不満が高まっており、5月末には王族3人を含む18人のメンバーによりムハンマド皇太子打倒を目指す反対派連携評議会が結成された(5月31日付アルジャジーラ)。ムハンマド皇太子に代えて、3月に拘束されたサルマン国王の弟であるアハメド元内相を皇太子に据えることを目指しているとしているが、宮廷革命の動きに政府の失政に怒る民衆が同調すれば、サウジアラビアで大量の血が流れないとの保証はない。

 原油輸入の4割をサウジアラビアに依存している日本は、サウジアラビア情勢への警戒をもっと強めるべきではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所上席研究員。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)、2016年より現職。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月14日掲載

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