さいたま市が行った児童10万人「医療者への拍手」強要 形式的な“感謝”に意味は

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初の女性教育長

 榎本氏が続ける。

「綺麗ごとかもしれませんが、本来、教えるということは、そうした疑問をぶつけあうことです。そして子どもたちが“それは大事だ”と自分ごととして考え、感じたことを自分なりのやり方で伝えていく。教師はその手助けを、さりげない形で行う。上から押し付けるのではなく、考えるヒントを与え、子どもの内面に迫ることこそが、本来の役割ですよね」

 そもそも本当の感謝の念は、子どもの心に自然に芽生えるものだ。

 今回、さいたま市でこの拍手を発案したのは、市で初めてと注目されている女性の教育長だったとか。何かやらなきゃとの焦りがあったのだろうか。しかし、その「何か」とは、目に見えるもの、即物的なものだけではないだろう。

「近頃の教育界は、素早く形になるものばかりを求める傾向にあります。そのようにプレッシャーがかかっているからでしょうけど」

 と榎本氏は言う。

「実用的な知識やスキルの習得に重きを置くようになってきたのもその一つ。しかし本来は、その裏に物事に対する深い学びがなくてはいけない。それを希求する習慣を身に付けさせなければ、薄っぺらいのに“何かやった”と自信だけは満々な人間を生み出すようになってしまうでしょう」

 自らへの称讃を強要し、満足するどこぞの「首領様」。形式的な「感謝」を指導して、教育をした、と胸を張る教師たち。似通って見えるのは気のせいだろうか。

週刊新潮 2020年7月9日号掲載

特集「浅はかな『正義』」より

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