コロナ禍で聞く「夜の街」の意味(古市憲寿)

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 この数カ月「夜の街」という言葉をよく聞いた。ウイルスが時間限定で流行するわけがないのに、「夜の街」にはネガティヴなレッテルが貼られることになってしまった。この場合の「夜の街」とは「歓楽街」とほぼ同義だろうが、もともと「夜の街」はもっと多義的な語であったように思う。

 1990年代半ばのJ-POPには「街」という言葉が頻出する。当時の人々にとって「街」は現在以上に大きな意味を持っていたのだろう。

 携帯電話やPHSの普及は始まっていたが、今みたいにSNSがあるわけではない。長文のメールを送れる機種が流行するのは2000年代以降だ。そういえばワン切りで互いの所在確認をするという不思議な文化もあった。

 あの頃は電話を切ってしまえば一人の時間が訪れた。携帯は、実際に対面するための副次的なツールだったように思う。その待ち合わせ場所が街だ。昼間は仕事があるから、仲間と会うのなら「夜の街」ということになるだろう。むしろ街以外で、「集う」という感覚を持つことが難しかった。

 さらに遡れば、携帯さえもない時代があった。上野千鶴子さんのエッセイ集『ミッドナイト・コール』を読むと、平成が始まったばかりの1989年の真夜中の様子がよくわかる。

 まず「深夜、電話がすべて鳴りやむ。それからがわたしの時間だ」という文章に驚かされる。当時の人はそんなに電話をしていたのか。FAXのことは「深夜の二時、三時、カタカタと音をたててやってくるやさしい訪問者」と表現されている。今では印鑑と共に旧時代の遺物扱いされる物体が、夜の孤独を癒やしていた時代があったなんて。

 今とは比べものにならないくらい、夜は寂しかったのだろう。電話もFAXも基本は一対一のコミュニケーションだ。深夜ラジオを聞いてもツイッターですぐに感想を共有できるわけではない。イメージでいえば、糸電話のような細い回線が街中を行き交っていたような状態だろうか。

 その時代のことを少しうらやましく思う。そんな静かな夜は、文明が衰退でもしない限りは二度と訪れないだろうから。今年の春は一人の夜を過ごした人も多かったと思う。だけどチャットアプリやSNSのおかげで、誰かと集うことは容易だった。スマホやパソコンの電源を落とせば現代でも孤独にはなれるのだが、人類はボタン一つで世界中とつながれることを知ってしまった。

 不思議なのは、それでも変わらずに「夜の街」は大盛況だということ。ステイホームが呼びかけられた時期でも闇営業(法律違反ではないなら何が闇かと思うけど)をしていたホストクラブやキャバクラもあったというし、6月以降は歓楽街にも喧噪が戻ってきた。

 いつか「夜の街」が衰退する日は来るのだろうか。人口減少の進む地方都市ではそれが現実のものになっている。過疎化した「夜の街」は、ネット上の賑やかすぎる夜を避けた人が逃げ込む場所になるのかもしれない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年7月9日号掲載

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