「横田めぐみさん拉致」を滋さん夫婦に伝えた日

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「子供も拉致」情報

 1995年5月に、この済州島での直撃シーンも含め、日本人13人が拉致されているとのドキュメンタリー「闇の波濤から」(朝日放送)を放送した。

 しかし、反響は殆どなかった。親しい同業のプロデューサーからは、「にわかには信じがたい。なぜ、北朝鮮が拉致などやる必要があるのだ」と言われたり、一般の方からも「拉致といえば、かつて韓国KCIAが東京のホテルから野党の指導者だった金大中を連れ去ったくらいのものだろう」と番組の真偽を疑われたりした。

 当時はその程度の認識だったのだ。北朝鮮に対する一般的なイメージはこうだった。

 ――小さな貧しい国だけれど、金日成主席のもと、社会主義の国家建設を目指して一丸となっている、幸せな人々の国――

 反響といえば、2件だけあった。

 一つは、番組を見た東京の朝日新聞出版局員から電話があり、単行本にしたいと言ってきたこと。二つめは、半年後に韓国KBSテレビが翻訳版を日曜日のゴールデンタイムに放送した直後、北朝鮮の韓国向けラジオが「朝日放送」を名指しで、「よくもでっち上げたものだ」と放送したことだ。これは韓国の情報機関から聞かされた。

 単行本化を引き受け、休日を利用し取材を続けていた同年6月、ソウル・明洞(ミョンドン)の居酒屋で韓国情報機関の旧知の高官と会った。彼が言った。

「北朝鮮は日本人の子供も拉致している」

 断片的な情報だったが、94年暮れ、韓国に亡命した工作員が供述した内容だという。それによると、

 ――13歳の少女が日本の海岸から拉致された。学校のクラブ活動でバドミントンの練習を終え帰宅途中だった。海岸からまさに脱出しようとしていた北朝鮮工作員が、この少女に目撃されたため、捕まえて連れ帰った。少女は賢い子で、一生懸命朝鮮語を勉強した。「5年で習得するとお母さんのところへ帰してやる」と言われたからだ。しかし、18歳になっても帰してもらえないと分かり、心に傷を負った。少女は双子の妹だった(実際は双子の弟がいた)。どこの誰かは、亡命工作員も聞かされていなかった――

 96年9月、『金正日の拉致指令』を出版したが、本にはこの情報を書かなかった。被害者を特定できていなかったし、子供を拉致などあまりにも荒唐無稽と受け取られると考えたからだ。

 書籍の広告が出たあと、韓国・朝鮮専門誌「現代コリア」から、本の紹介をしたいと言ってきた。そこに初めて先述の情報を記した。

 同年12月14日、この雑誌の発行人が新潟市内で北朝鮮情勢についての講演をした。終了後、懇親会の席で「うちの雑誌に少女拉致の記事が掲載されている」とその概要を述べたところ、会場から「それは横田めぐみさんのことではないか」と声が上がったのだ。

 私が追い続けていた、拉致された少女が横田めぐみさんだと判明した瞬間だった。ソウルで情報を聞き、動き出してから1年半が経っていた。

 そして、両親の自宅を探し出し、冒頭で述べたように、翌97年1月23日、横田夫妻の自宅を訪問したのだった。

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