「横田めぐみさん拉致」を滋さん夫婦に伝えた日

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情報機関なき国の悲劇

 拉致問題の膠着状態が続くなか、唯一の慰めは孫のキムウンギョンさんと会えたことだろう。

 その機会は2014年3月に来た。モンゴルで数日にわたって面会したのだ。

 帰国の数日後、夫妻に聞くと、ウンギョンさんは女の赤ちゃんを連れてきていた。元気な子だった。滋さんがひ孫を抱っこすると重く、聞けば生後10カ月にして11キロもあるという。滋さんは、平壌ではなくモンゴルで会えてよかったと、こう言った。

「もし、北朝鮮へ行っていたら、めぐみの夫から、『妻は死んでいます』などと言われたと思いますが、ウンギョンさんは実際にあまり知らないようだし、肉親として楽しく過ごせてよかった」

 早紀江さんはウンギョンさんの顔を真正面から見て話した。

「『今まで会いに来なかったのは、あなたが嫌いだったからではないの。ずっと会いたいと思っていたのよ』と言ったら、ニコニコして黙って頷いていました」

 それは、めぐみさん行方不明から37年目にして、初めて訪れた夫妻の「癒やしの時」だった。

 しかし、拉致問題はその後、何の進展もないまま、現在に至っている。

 横田夫妻は、幾度となく私に言ったことがある。

「めぐみの拉致で、日本という国がこれでいいのか、こんなことで大丈夫なのかと多くの人が考えるようになりましたよ」と。

 考えてもみてほしい。私は、当時も今も記者という一般事務とは異なる職種だが、一民間人だ。それがめぐみさん拉致を突き止めたということ自体、おかしいといえばおかしなことなのだ。日本人拉致は北朝鮮による対南工作の一環として行われたもので、実行したのは情報機関だ。拉致が起きれば、裏交渉であれ武力を伴う特殊部隊であれ、救出に動くのもまた、国家の情報機関だ。決して民間人ではない。

 以前、フランスの時事雑誌で東アジアを統括する人物と拉致問題で話した時、被害者をどのようにして救出するかについて、彼女は事も無げにこう言った。

「まず、日本側が、北朝鮮と信頼関係のある第三国の情報機関員をカネで抱き込む。次にこの第三国機関員が、北朝鮮で拉致被害者を管理する者たちにカネを与え脱北させる。全員救出まで一切報道しない。それしかないでしょ」

 これに対して私が、「日本には、どの第三国の機関員が信用できるか選定できる者がいない。また、大金を秘密裏に動かすのも難しい」と答えると、彼女はきょとんとした。「日本にはインテリジェンス(情報機関)がないのです」と説明すると、目を丸くして驚き、

「それで、よく国が守れるわね」

 と、呆れたのだった。

 2015年、日本人ジャーナリスト後藤健二さんがイスラム過激派組織に拉致・監禁され殺害された。しかし、その前年、やはり拉致されていたフランス人記者ら4人が解放された。フランスの情報機関がアラブ系部族長を通じて交渉したと報じられた。他にもスペイン、ドイツ、イタリアなどの人質が解放されている。拉致は、情報機関が救出するのが世界の常識といっていい。

 国家安全保障というのは、国民の命と領土を守ることだと誰もが知っている。それは、具体的には、横田めぐみさんという被害者を出さないことであり、万一出たなら助け出すということだ。だが、日本には法制度に裏打ちされ、捜査部門を擁する情報機関というものがない。そのために、政府は横田めぐみさん拉致も知らず、報道されて北朝鮮にいると分かっていても救出できず、それどころか、今も生死すら把握できない。これが日本という国の異常さだ。

 横田滋さんのように、わが子の生死も分からぬまますでに何人もの親が亡くなっている。彼らの無念を晴らすことができなくて、何が国家といえようか。

石高健次 (いしだかけんじ)
ジャーナリスト。1974年朝日放送に入社、「サンデープロジェクト」の特集をはじめ、2011年の退社まで数多くのドキュメンタリーを手掛ける。横田めぐみさんの拉致報道で97年新聞協会賞。アスベストによる健康被害を掘り起こし、被害者救済のきっかけを作った。

週刊新潮 2020年6月25日号掲載

特集「誰も知らない『横田めぐみさん拉致』を滋さん夫婦に伝えた日」より

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